谷川士清先生略年譜 (64歳)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

1772 年 明和9年・安永元年 ◇64歳

○ 1月、『火忌説』に「火忌説うは文の辞」を書く。

※奥書「明和壬辰のむつき、草かけ阿野の津、谷川ことすかしるす」4-119

○ 1月22日、宣長、士清宛書簡。

※書簡26。年頭の挨拶、『栞』4巻の批評と次巻借用依頼。曽我部容所刊行「令」の借覧希望。『記伝』巻5への批評を請う。「びんぼ川」について。「陰陽乾坤」の説については「しひては申さず」。但し、議論の有益性は協調。

☆ 1月23日、宣長(43歳)『二十一代集』会読終わる
  (開始、明和元年5月26日)。

○ この頃、『和訓栞』稿本を送るか。〈第8回借覧〉

○ 2月28日、宣長宛書簡。『和訓栞』稿本を送る。〈第9回借覧〉

※来簡102。「心だに」の歌・山つ神海つ神への宣長の意見に反論。白子(村田橋彦か)から届いた上野国の打碑は碑面荒く難読。内容は仏道のことらしい。お目にかける。『衛禁律』板出来、『日本霊異記』入手した。

【参考】前田勉「宣長における「心だに」の論理の否定 垂加神道と宣長との関係」7-303 

※14-6

☆ 3月5日、宣長、友人5人と連れ立ち吉野、飛鳥旅行に出立。14日帰着。

※『菅笠日記』

○ 5月7日、宣長宛書簡。『和訓栞』稿本を送る。〈第10回借覧〉

※来簡103。『日本霊異記』は古代の珍書、望むなら追便で送る。吉野旅行を羨む。「よし野紀行(『菅笠日記』)御認被成候旨、こは面白事共多かるへく、拝見仕度事に奉存候」。再び山つ神海つ神への所見。「ひも鏡(『てにをは紐鏡』)之御印刻拝見仕候、古今独歩之御見識と奉信仰候」。真淵の旧友と名乗る人と会った。

※14-6

○ 5月、遠州見付、斎藤信幸来訪、一宿。

○ 6月4日、宣長、士清宛書簡。

※書簡27。『日本霊異記』一覧。質問の解答について意見を述べる。『よし野紀行』は返却され次第送るので賢評乞う。真淵の旧友は斎藤右近。 

○ 7月晦日、宣長宛書簡。

※来簡104。物事の次第の「一ツめ」など36条。特に「陰陽乾坤」については改めて自説を説く。『菅笠日記』の沿道や飛鳥の地名について見解を述べる。「菅笠の日記にのたまへる貝戸は垣内と書り」。「御ふみ忝なかめにあかす候」。「古事記伝、貴郷へ人遣し候節もたせ上候」。「よし野道の記御かし給はり、拝閲いちし、さてさて委しき御考ともにて御座候、此ふみの外に、見申候ついてに書付候しをそのまゝ申試候也、ぶらいのとか免させよ」。

○ 10月21日、宣長、士清宛書簡。

※書簡28。『栞』板行を慶び激励。『勾玉考』の感想、『勢語古意』返却、受領。綾足の所業は理解できないと嘆じる。『古事記伝』巻6落手。「八尺の勾玉」について疑問を呈す。借用するの『都城弁』は問題点多いので今暫く借りたい。『霊異記』、『三科祓』返却。前書は奈良時代の古書で珍重に値する、後者は偽物。「かたくり」について問う。 

○ 10月22日、大河内重平に『歌道筒守』を授ける。

※「先師玉木翁晩年所筆歌道之秘奥悉備矣今茲依大河内氏懇請授与之者也、安永紀元臘月、谷川士清識」1-182

○ 11月5日、宣長宛書簡。

※来簡105。10月21日書簡への返事。「かたくり」について。

○ この年、宣長宛書簡。

※来簡106。釈奠の「胙」(ヒモロギ)。びらうは「檳榔子」か。歌の評に感服。万葉歌「ほとほとしくに」の場所を問う。「ほんだ」(応神天皇)について。

○ この年、宣長宛書簡。

※来簡107。有職関係の事柄四項目についての質問。禁裏の男居ということ、親王童のお服にある半尻の読み方、堂上方の傍続という服の読み方。

○ この年、『怪談記野狐名玉』5巻刊(大坂・和泉屋幸右衛門※国会本)。

○ この頃、『倭訓栞』編纂に没頭。

 

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○ 明和年間、『新撰字鏡』入手。

※ 11-33



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