谷川士清先生略年譜 (67歳〜没後1年)

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記号:○士清関係記事 ☆関係記事 ★不慮

1775 年 安永4年 ◇67歳

○ 5月、古世子明神に反古塚築造。玉虫の歌を募集する。

※「何故爾砕伎志身曽登人問婆其礼登答牟日本玉之譬(何ゆゑに砕きし身そと人とはばそれと答へん日本玉しひ)安永四年乙未五月、谷川士清建之」1-43・「五月営冢時縁金蝉三日聯接而出故呼玉虫冢」(たまむしつか碑)1-9・12-32

※「淡斎谷川翁、曽著證栞二書、草稿故紙推案、今茲乙未之夏、盛之石函、埋某寺側、建碑銘反古冢、頻有祥瑞、近衛殿下及邑侯降賜賀詞、時彦贈詩寄国詠賀焉・・」金剛教寺僧徳巌 1-51

※度会光隆「谷川淡斎痙稿図」(『日本教育史』巻4)

○ 8月27日、宣長宛書簡。

※来簡110。5月末、古世子明神社地に『日本書紀通證』・『和訓栞』・『勾玉考』などを埋め反古冢の碑を建て辞世の歌を刻みつけた。玉虫が三日にわたって碑の周りに集まった。この奇瑞への歌を頂きたい。玉虫についての考証。

☆ 9月19日、荒木田尚賢、士清から借覧した賀茂真淵『語意』書写。

※3-2

☆ この年、住居修復。

☆ 長男士逸追放となる。

○ この年、越谷吾山『物類称呼』刊。『和訓栞』に加筆。

※同書は方言辞典。14-12

1776 年 安永5年 ◇68歳

○ この頃、谷川士清読書の時に白鶴三隻飛来、屋上に止まる。
  荒木田経雅これを賀して歌を詠む。

※蓬莱尚賢『安永五年丙申所録』3-267

○ 春、参宮。

※「下野国足柄郡和泉村八幡山より村正真秀氏が伐取しはりの木ノ内に大神宮の三字見ゆめり。安永丙申の春内宮車舘に来る。正しく天造の物なりし。奇瑞目を驚しぬ。予か参宮の前日に来るといふ」(『和訓栞』清逸本「はぎ」)11-44

○ 7月23日、宣長宛書簡。

※来簡111。『字音仮字用格』を重宝している。『古事記伝』次の巻ができたらみたい。

○ 夏、安濃郡でネズミ大量発生。『和訓栞』に記録する。

※「安永丙申の夏、伊勢安濃郡の村里に鼠多し。稲秧のさきを喰切たり、是田鼠也といふ」(『和訓栞』清逸本「ねずみ」)11-44

○ この頃以降(〜安永6年9月)、『和訓栞』稿本書写か。

※ 11-42

○ 9月22日、門人北河倭文真士明、神道伝授に付き誓文を出す。

○ 10月10日(今の暦11月20日)、逝去福蔵寺に葬る。

※墓碑「淡斎谷川士清之墓」、「宝永己丑二月廿六日生、安永丙申十月十日終、孝子士逸謹建」・過去帳「十日、文芸大英故事安永五丙申十月、谷川淡斎」1-40

※「十日、今日津谷川淡斎死之由聞之、六十八歳」「日記」13-351

 

1777 年 安永6年 ◇ 没後1年

○ 9月、『倭訓栞』前編13巻刊行。

※刊行書肆、東都須原屋茂兵衛、京師山本平左衛門、出雲寺文次郎、風月荘左衛門。11-9 
文化2年11月26日付谷川士逸差出江見将曹宛書簡「亡父士清著述之和訓栞生前に少々出版仕候而神去申候」1-21



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