midashi_b 天明年間

l_b3

 宣長50代が、ちょうど天明年間(1781〜89)となる。世の中は飢饉に噴火、政変、大火と混乱甚だしいが、宣長はその学問業績を着実に積み重ねていく。執筆中の『古事記伝』も、全国の有識者の知るところとなり、宣長の名声が高まる。諸国からの入門者、来訪者も増えていった。

天明元年(1781) 52歳
spacer 1月23日  『古事記伝』執筆、『古事記』中巻の伝に着手。
  11月9日  宣長宅で賀茂真淵十三回忌を開催。
 
この年の薬価料96両。記録に残る限りでは最高額。
藤貞幹『衝口発』刊行。醒狂道人可必醇著『豆腐百珍』刊行。
海の向こうでは天王星が発見された。
 
天明2年(1782) 53歳
  3月2日 伊勢の前山に花見に行く。
  3月 『詞の玉緒』版下出来る。
  7月15日 このころより瘧(マラリア)に罹る。
  8月18日 『天文図説』成る。
  9月12日 『真暦考』成る。
  12月上旬 書斎「鈴屋」竣工。
  12月 大黒屋光大夫が松坂商人の物資を積んだ神昌丸で白子港を出て、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着した。
 
この年、西日本大凶作。宣長『日記』に、「諸色高直世上困窮」と書く。
中国では『四庫全書』が出来た。
 
天明3年(1783) 54歳
  3月9日 新書斎「鈴屋」で歌会。
  7月6日 浅間山鳴動。また冷害(やませ)となる。各地で一揆や打ちこわしが起こった。影響は同7年にまで及ぶ。直接被害の無かった伊勢でも、地鳴りして、灰が降り、また諸国の混乱の噂が伝わってくる。宣長の『日記』にはそれらが記録される。友人荒木田経雅は不安のために病に罹った。
 
この年、菅江真澄が故郷の三河を出て信濃、越後、出羽、陸奥、蝦夷地へ旅立つ。
 
天明4年(1784) 55歳
  2月23日 志賀嶋で金印発見。
  3月24日 若年寄・田沼意知、江戸城内で斬りつけられる。
  9月15日 次男・春村(18歳)、津の小西家に養子となり入家。
  10月4日 門人・田中道麿没。享年61歳。
 
天明5年(1785) 56歳
  2月 『漢字三音考』刊行。
  5月 『詞の玉緒』刊行。
 
春以降9月まで病人多く学業を廃する。 冬、藤貞幹『衝口発』を論駁した『鉗狂人』を執筆。隠岐第40代国造幸生、駅鈴をもって上京する。
この年の入門者には、横井千秋、服部中庸、栗田土満、村上円方等重要人物多し。
江戸では山東京伝『江戸生艶気樺焼』や唐来参和『莫切自根金生木』などのんきな黄表紙が出て大評判となる。
 
天明6年(1786) 57歳
  小篠敏来訪、8月まで逗留。
  5月 病気に罹る。
  10月14日 『古事記伝』巻2板下を名古屋に送る。いよいよ出版作業開始である。
  閏 10月19日 『玉鉾百首』出版許可下りる。
  11月3日 長女・飛騨(17歳)、草深家に嫁す。
 
この年、上田秋成との論争が始まる。
 
天明7年(1787) 58歳
  4月14日 『古事記』を真福寺本で校合する。
  4月15日 将軍11代・家斉となる。
  5月 大坂、江戸で打ち壊し。
  5月 「木枯森碑文」執筆。
  6月 松平定信老中となる。
  10月 『国号考』刊行。
  12月 政道論『秘本玉くしげ』成る。『玉くしげ』を添えて紀州藩主に献上する。世上不安の中で、国学者・宣長の意見が聞かれる機会が多くなってきた。中には藩政改革にもと考える人が出てきた。
  この年、シラー『ドン・カルロス』執筆。
 
天明8年(1788) 59歳
  正月30日 京都で大火。2月2日鎮火。御所を始め町のほぼ75%が焼失。
  3月10日 江戸の村田春海来訪。
  6月2日 『源氏物語』講釈第4回目開始。
  7月1日 門人・荒木田尚賢没。享年51歳。


>>「5、古代の音色「駅鈴」」
>>「8、宣長の仕事場」

>>「医療収入」 >>「県居大人之霊位」 >>「豆腐」
>>『詞の玉緒』 >>「毎月の宣長さん」5月「医者の不養生」
>>「田中道麿」 >>『衝口発』論争の仕掛け人
>>「藤貞幹」 >>『鉗狂人』
>>「小篠敏」 >>「『古事記伝』の刊行」
>>『玉鉾百首』 >>「飛騨」 >>「上田秋成」
>>「真福寺本『古事記』」 >>「木枯森の宣長歌碑」
>>『玉くしげ』 >>『秘本玉くしげ』 >>「村田春海」



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる