midashi_g.gif 天皇陵・古墳への関心

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 飛鳥での探索に限らず、宣長は古墳や天皇陵に関心を寄せている。2日目、倉梯の岡の陵崇峻天皇陵が、既に通過してきた忍坂から5丁ほど辰巳の「みささぎ山」であると聞き、「いとくちをし。こゝよりは廿町あまりもありといへば、えゆかでやみぬ」と残念がっている。また、安倍文殊院傍の古墳(今、艸墓古墳と呼ぶ)では横穴式石室に入り石棺の中に手を突っ込んでいる。また今、見瀬丸山古墳と呼ばれる古墳でも横穴式石室内まで入っている。懐中電灯がなかったので暗い中での手探り調査だ。勇気があるね。

 畝傍山の麓、吉田村では土地の人との話で、幕府の命で調べに来た時(元禄12年、徳川綱吉の時の修理であろう)の、担当者らの態度への不満を聞き、陵墓を守るためには地元民へ格別の恩沢を与えて、皆が喜び守るようにすべきだと言う意見を述べるが、実はこのことが、陵墓の保存で重要なことであった。簡単に言えば、村にあったら迷惑だ、という事態を招いていたのである。

 また、並河誠所の『五畿内志』での陵墓調査に、疑問点はあるとしながらも、その労を讃えている。実は陵墓調査が本格化するのは、この並河の調査を批判的に継承する宣長からと言ってもよい。ここでも宣長は先駆者である。

天武・持統天皇陵

天武・持統天皇陵


>>「神武天皇陵」
>>「蒲生君平」
>>「宣長の見た天皇陵と古墳(飛鳥篇)」



(C) 本居宣長記念館


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