midashi_b 父と母

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 43歳の春、吉野水分神社に詣った宣長は、亡き父母のことを思い、歌を詠んだ。

「思ひ出る そのかみ垣に たむけして 麻よりしげく ちるなみだかな」

 父母の思い出のある神社に参詣し、神の手向けにと撒く幣(ぬさ・麻)よりも、涙は止めどなく流れてくる。
父は早く11歳の時に逝き、母も39歳の時に逝った。

 これからさらに27年後、再び社頭に立った宣長は、
 父母の むかし思へば 袖ぬれぬ 水分山に 雨はふらねと
 みくまりの 神のちはひの なかりせは うまれこめやも これのあかみは

などの歌を詠む。(『寛政十一年若山行日記』「よし野の歌」・推敲後『鈴屋集』巻4に「吉野百首」として載せる)

 この社は、父母へと宣長を導く場所となったのだ。

【原文】 『菅笠日記』
 「此御やしろは、よろづのところよりも、心いれてしづかに拝み奉る、さるはむかし我父なりける人、子もたらぬ事を、深く嘆き給ひて、はるばるとこの神にしも、ねぎことし給ひける、しるし有て、程もなく、母なりし人、たゞならずなり給ひしかば、かつがつ願ひかなひぬと、いみじう悦びて、同じくはをのこゞえさせ給へとなん、いよいよ深くねんじ奉り給ひける、われはさてうまれつる身ぞかし、十三になりなば、かならずみづからゐてまうでて、かへりまうしはせさせんと、のたまひわたりつる物を、今すこしえたへ給はで、わが十一といふになん、父はうせ給ひぬると、母なんもののついでごとにはのたまひいでて、涙おとし給ひし、かくて其としにも成しかば、父のぐわんはたせんとて、かひがひしう出たゝせて、まうでさせ給ひしを、今はその人さへなくなり給ひにしかば、さながら夢のやうに、

  思ひ出るそのかみ垣にたむけして麻よりしげくちるなみだかな、

袖もしぼりあへずなん、かの度は、むげにわかくて、まだ何事も覚えぬほどなりしを、やうやうひととなりて、物の心もわきまへしるにつけては、むかしの物語をきゝて、神の御めぐみの、おろかならざりし事をし思へば、心にかけて、朝ごとには、こなたにむきてをがみつゝ、又ふりはへてもまうでまほしく、思ひわたりしことなれど、何くれとまぎれつゝ過ぎこしに、三十年をへて、今年又四十三にて、かくまうでつるも、契りあさからず、年ごろのほいかなひつるこゝちして、いとうれしきにも、おちそふなみだは一つ也」


>>「父・定利」
>>「母・勝」



(C) 本居宣長記念館


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