殿村安守(トノムラ・ヤスモリ)

 安永8年(1779)〜弘化4年(1847)7月1日。享年69歳。何かと目立つ人である。
 「本居宣長72歳像」や「恩頼図」、また妙楽寺に宣長追善のため「本居社中」と書いて金十両を納めたその筆跡は紛れもなく安守だ。平田篤胤がやってきた時にも出迎えたのも安守、「柱掛鈴」の模造を春庭に作ってやったのも彼だという。しかも、馬琴の友人としても著名であるし、慶事には台所に「倹約無用」と書いた紙を貼ったという伝説もある。

 家は松坂中町。寛政6年、宣長に入門。同7年、富商であった本家を嗣ぐ。本姓、大神。通称、佐五平。号は三枝園、篠斎。常久の異母兄。宣長門人として、講釈や歌会に参加し、『古事記頒題歌集』の編に宣長と従事。また京都の鴨川井特(カモガワ・セイトク)を招き「本居宣長七十二歳像」を描かせた。また師の没後は、『歴朝詔詞解』の序文を執筆し、平田篤胤が松坂を訪れた時には、殿村常久、小津久足等と出迎えた。春庭の後見人としてもよく本居家を助けた。また、師の遺墨を集めた『座右雑記』を編む。安守は、馬琴の理解者、協力者としても知られるが、その馬琴の安守評を挙げる。

「(安守は)近頃隠居いたし佐六と改名いたし、紀州和歌山へ退隠いたしかの地に罷在り号をも篠斎と改候、全体本居宣長弟子にて、和学者に御座候へ共、性として和漢の小説をよみ、本をこのみ多く蔵弄いたし候故、見巧者にて評判も此ものゝ評よろしく御座候、さりながら一癖ある男子にてとかく人をほめてのみおかぬくせありて槍を出したがり候。才物に御座候、歌も上手にてよきうた折々聞え候也」
という。
 安守が馬琴の『八犬伝』と『朝夷巡島記』を評した『犬夷評判記』(ケンイヒョウバンキ)は、やがて近代へとつながる小説批評の先駆的な作品として評価されている。


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