midashi_b 遠眼鏡

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 宣長の書いたものを読んでいると、ひょっとしたら宣長さんは遠眼鏡を持っていたのではと思うときがある。
 たとえば『菅笠日記』』(1772年3月・宣長43歳)最終日、堀坂峠の眺望の段を見てみよう。
「さて与原といふ里にいでゝ。寺に立入て。しばしやすみて。堀坂をのぼる。こはいと高き山なるを。今はそのなからまでのぼりて。峯は南になほいとはるかに見あげつゝ。あなたへうちこゆる道也。このたむけよりは。南の嶋々。尾張三河の山まで見えたり。日ごろはたゞ。山をのみ見なれつるに。海めづらしく見渡したるは。ことにめさむるこゝちす。わがすむ里の梢も。手にとるばかりちかく見付けたるは。まづ物などもいはまほしき迄ぞおぼゆるや。さてくだる道。いととほくて。伊勢寺すぐるほどは。はや入相になりにけり」
「山ばかり見てきた目には海が新鮮だ。わがすむ里の梢も手を伸ばせば届きそうに見えるので、声をかけたくなってくるよ」
 ここで宣長さんに遠眼鏡を持ってもらうと、
「山ばかり見てきた目には海が新鮮だ。遠眼鏡をのぞくと、わがすむ里の梢も手を伸ばせば届きそうに見えるので、声をかけたくなってくるよ」となるし、

また松阪郊外、というか堀坂峠の麓にある横滝寺からの眺望を詠んだ時も、
「海の手にとるばかりまぢかくみやるゝに在五中将のふる言
 思ひ出て我も又
   塩がまにいつかきにけん軒近きまがきの嶋を出るつり船」
                 『石上稿』(1776年・47歳)
と「手にとるばかり」とあるからここでも遠眼鏡を持ってもらうとすっきりわかる。

 もちろん『菅笠日記』の旅でそれを持参していたというのではないが、遠眼鏡を見た体験がこのような描写となったと言うことは充分に考えられる。
世之介が屋根の上から隣の行水をのぞいた時からほぼ百年。
松阪の町にも遠眼鏡はあっても不思議ではない。
もし松阪で見ていなくても、たとえば京都なら清水寺、それに大阪の高津宮には貸し望遠鏡もあった。宣長の目に触れていないと考える方が不自然でもある。高いところから見下ろすことの好きな宣長さんだからなおさらだ。



>>「宣長さんの高所志向」



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