10日間に及ぶ古代史跡の探索の旅の第一番目だ。
宣長も引くように、「忘れ井」は『千載集』斎宮の甲斐の歌に詠まれた場所だ。宣長も「前から関心があって、わざわざ行こうとも思ったほどだ」。だが、それがどこであるかは議論が分かれる。この日の朝、宣長が通ってきた市場庄の街道沿いにも「わすれ井是より半丁、宝暦改元十一月吉日、東都鳳岡関思恭書」という碑が建っている。「今その跡とて。かたをつくりて。石ぶみなど立たる所の。外にあなれど」がそれを指すのだろう。だが「そはあらぬ所にて。まことのは。此里になんあると。近きころわがさと人の。たづねいでたる事あり」と、中里常守説を紹介して、同意をする。碑も見ているはずだが、これは論外と無視したのだろう。
ここでちょっと注目したいのは「里人もいひ」という文句だ。この旅で宣長は行く先々で地元の人を案内に立て、また話を聞いている。信じられる話もあるし、またいい加減な話もある。今でこそ、民俗学の調査以外では地元の人の話など無視することが多いが、当時の人、また宣長は、人との対話をないがしろにしない人であった。
この旅の一つの見所は、この地元の人との対話にあるとも言える。
「忘れ井石柱」
宣長の古代探索はここから始まった。
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