明治4年(1871)、川口常文と野呂万次郎は、本居信郷、久世安庭等と山室山奥墓の横に祠を建て祀ったのが濫觴。同七年、本居豊穎、信郷が霊祠造営を出願し、また奥墓の隣に祠殿を建て祭祀を行うことを追願し共に認可された。この間に、野呂万次郎等が平田篤胤合祀を求め、異論もあったが相殿に祀られることとなり、その結果社名を「山室山神社」とした。 社殿は翌8年3月21日竣工、遷座式では、宣長翁の御正体を信郷が、篤胤翁は野呂万次郎が奉載した。同13年明治天皇巡幸の時、勅使として侍従富小路敬道を遣わし社域拡張のため金一封を賜る。 同14年、社殿改築の計画が出て、場所の狭さなどにより、移転が決定。 同15年4月、松阪町殿町追手筋の畑(奉行所跡)を新社地とすることを出願し、認可される。 同16年、宣長に正四位追贈。 同22年9月26日遷宮式が行われる。 同34年、宣長没後百年で山室山保存会が出来、奥墓周辺の旧社地の整備が行われる。 同36年、県社となる。 同38年、宣長に従三位追贈。 大正4年(1915)11月8日、殿町地内、四五百の森に遷座。 昭和6年(1931)、社号を「本居神社」と改称。 平成7年(1995)4月1日、再び社号を「本居宣長ノ宮」と改称。 【参考文献】 『遺徳を称えて−山室山神社の祭祀と鈴屋遺跡の保存−』岩出忠次。