midashi_b 邪馬台国はどこ? 宣長の説

l_b3

 古代史における最大の関心事「邪馬台国」。
その所在地について、九州説と大和説がある。
大和説は、遠く『日本書紀』にまで遡り定説となっていたが、
宣長は、「魏志倭人伝」という基本文献の解釈から、
九州説を提唱した(『馭戎慨言』1778年2月30日脱稿・1796年刊行)。

 但し、「馭戎慨言」の書名に見られるように、
「内尊外卑」の立場に立つ事が禍して、
読む前から批判されることが多いが、
テキストを正確に読むといういわばミクロ的な視座、
また当時の国の概念や、この国土をよりグローバルな視点から眺めるというマクロ的な視座で展開されるので、
文献に依存する限り、部分修正や異説を唱えることは出来ても、
宣長説を覆すことは困難であろう。

「「馭戎慨言」は全篇を貫く尊内卑外の精神によって誤解される面もあるが、歴史事実の考證にかけてはすこぶる的確で、今日なお生命を持つ学説が見うけられる。有名な魏志倭人伝の耶馬臺国の九州説が立てられているのはこれであり、そこには不弥国を宇美に、投馬国を日向の妻に当てる説までが述べられている」 
「本居宣長と国史学」坂本太郎 (『本居宣長全集』月報13)




>>『馭戎慨言』



(C) 本居宣長記念館


目 次
もどる