midashi_o.gif 要注意人物

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 中村幸彦氏は「総体この頃の国学者の書簡や行動につくに、個人的な功よりも、国学全般の隆盛を考えて、これを同慶し合っている態度があって、心よくも羨ましく感じることである」と述べられた。これは特に宣長の時代の国学における感想であろうが、その伝統は師・賀茂真淵から始まっていると言ってよい。真淵は同学の者の紹介に熱心であった。あるいは、真淵の遺産の一つは、ネットワークの形成にあったと言っても過言ではない。宣長が「師の説になづまざる事」を主張した時、それは真淵自身の教えであったといっているが、この教えもまたその流れの中で考えるべきであろう。

 その真淵が紹介どころか、警戒するように注意した人物がいる。建部綾足である。

「綾足といふもの、仰の如く今時のはいかい・発句てふものをせしものにて侍り、此者従来虚談のみにて交りかたし、されども己が門人に宇万伎といふ人の近所に借宅して、こゝかしこ聞そこなひしを、片歌とやらんをいひなんとて、京へのぼりつとか承候、必御交は有まじき事也」(明和6年7月4日付蓬莱尚賢宛書簡・『賀茂真淵全集』23-172)
 真淵の警告より一年前の明和5年夏、既に綾足は伊勢路を訪い、津では谷川士清とも会っている。


>>「共同研究の勧め」
>>「秋成と綾足」
>>『冠辞考』
>>「国学はなぜ発展したか」



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