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宣長は、子供の頃から「系図」とか「地図」とかが大好きだった。ただ写すだけでなく、『大日本天下四海画図』のように自分で調べたりしてよりよいものを作ろうと試みたこともある。時には、空想の町の地図や、またその町に住む人の系図を作ったりもした(『端原氏城下絵図・系図』)。
図解することが好きな性格は、その研究にも影響を与えた。ことばの法則を考えて、変化を図示したのが『てにをは紐鏡』、また『古事記』の神々の世界を図解したのが『天地図』である。歌の変遷を図解した「歌詞展開表」も残っている。
また書簡でも挿し絵を入れたり、葬儀の次第や墓については、文字だけでなく『遺言書』や『山室行詠草・山室山奥墓図・山室山墓地譲渡証文案』のように図を交えて指示した。
例えば、『本居宣長稿本全集』第2輯には次のような図解が載る。 「寛政六年和歌山城内十人扶持加増」P36・「寛政十一年和歌山城内講釈」P71・「寛政十二年和歌山城内持講」P96・「序文書判の大きさ」P168、174・「龍田周辺図」P236・「大なべ、小なべ図」P241・「神功陵」P242・「石上神宮石の垣」P243・「中山邸講筵の図」P277・「旅寓講筵の図」P312・「名古屋大火の図」P467・「寛政六年和歌山城内講筵の図」P472
図になるような合理的なこと、また法則、また時間の流れに伴う変化を追求したことが、宣長の学問の特徴であり、その価値を高めているとも言える。
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