|
◇ 歌会始め
正月には各歌会でも歌会始を行う。皆、正装して出席したのだろうか。
天明5年(1785・宣長56歳)の様子を『三井高蔭日記』で見てみよう。
正月3日、稲懸大平(30歳)より三井高蔭に今年の兼題が届けられる。
各月、嶺松院会2回と遍照寺1回の計36回分である。『石上稿』を見ると、この年初の兼題は、きちんと守られたことが分かる。また、歌会は低調だったが、宣長を見る限り兼題の詠は毎回詠まれている。但し、『石上稿』に何月何日兼題とあっても、それは必ずしも出席を意味しない。欠席でも歌だけは詠むのだ。
正月7日、三井高蔭、稲懸大平より11日の嶺松院会初会の期日につき相談を受ける。 誰か不都合が生じたのか。この年の歌会は大平の骨折りで進められていったようである。
正月10日、三井高蔭、明日歌会の歌を宣長に届け添削を請う。 ☆『高蔭日記』「本居氏エ詠草遣【明日之兼題也】」。兼題の事前添削は、『服部中庸詠草』などの例もあり、一部の門人では行われていたのであろう。
正月11日、新町樹敬寺塔頭嶺松院会、新年初会。当座出詠者は、中里常秋、長谷川常雄、竹内直道、稲懸大平、宣長、三井高蔭。
☆『高蔭日記』「暮時退出入夜帰」。夕暮れに会場を出てどこかに廻ったのか、夜帰宅している。
|