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【もっと知りたい】
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◇ 嶺松院会に初めて名前が出る。 宝暦8年(宣長29歳)2月11日、嶺松院会の『詠草会集 六』に「春庵」(宣長)の名初出。なお、当時の嶺松院会員は、清地・正啓・明達・栄宣・義方・道円・行前等であった。宣長の『嶺松院会和歌序』に「こゝにわがすむ里ちかきなにがしの院に、月ごとの十一日廿五日には、かならずこれかれあつまりて、月なみの題さだめをきつゝ、例の物する人びとなん有ける」とある。
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◇ 古代探求開始 宝暦12年(33歳)2月、宣長は自撰歌集『石上集』巻1を編集しています。この書名につけられた「石上」とは古代への憧憬の念が込められています。また同じ月には、賀茂真淵の『冠辞考』も購入しています。借りて読んだのは5年ほど前ですが、やっと自分のものになりました。 |
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◇ 『馭戎慨言』 安永7年(49歳)2月30日、浄書された『馭戎慨言』は、古代から豊臣秀吉までの日本の外交史です。書名は「ぎょじゅうがいげん」と読みますが、また「からおさめのうれたみごと」という読み方もあります。今でこそ、書名が日本中心的だなどと批判されますが、当時は儒学者やまた医道の師であった武川幸順など多くの賛同を得た本です。外交史は宣長が20代から関心を持っていたテーマだけに、内容は堅実です。印刷は寛政8年(67歳)夏です。それまでは写本で読まれました。 |
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| 毎月の宣長さん | 二月の宣長 |
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