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 京都での日々  運命的な出会い  妙楽寺に遊ぶ

 京都での日々  

  遊学時代、宝暦6年(27歳)4月の京都生活を覗いてみましょう。馬に乗ったり、祭見物に行ったり、なかなか楽しそうです。
4月6日、蘭澤、允斎等と等持院参詣、北野の右近にて乗馬。
☆『在京日記』「六日、いなりまつり也、ひよりよし、けふは蘭沢公、田中允斎なとと等持院へまいり侍りける、日ころ開帳にて、まいらはやとおもひをりし、もはやこの十三日まてとうけ給はる、尊氏将軍の守本尊地蔵菩薩の開帳、其外宝物共あり、一の堂には、夢窓国師の像、足利将軍歴代の木像あり、後の庭、泉水いとふるくおもしろし、此開帳のうち、衣笠山へも人あけ侍れは、のほりて見るに、かけ茶屋おほくにきはしく見ゆ、山上にて、夢合の観音といふをおかませける、此山の上より、京中よく見えて、いとよき風景也、酒のみなとし、休みてかへる、それより道すから馬つれてまかりけれは、のりなとして、北野の右近の馬場にて、又皆々のり侍る、予も久しくのり侍らさりしか、一くら、二くらのり侍る、心いさましくおかしき物也」
4月9日、大西周庵と清水参詣、方広寺などを巡る。またこの頃、檀王法林寺に参詣し、祇園に遊ぶ。
☆『在京日記』「八日、大西周庵と清水へまうて侍る、けふは花つみにて、いつかたもにきはし、地主権現のまつりにて、神輿も門へ出おはします、それより大仏へまいり、杜若を見はやと思ひしに、ゆきて見れは、また咲侍らす、三十三間堂のほとり、蔦屋といへるにしはし休みて、酒のみなとし、かへりける。けふよりまた檀王法林寺の万日主夜神の開帳も始りけるよし聞は、檀王へまいりぬ、いとにきはし、此主夜神と申すは、近きころ人ふかく信し仰く神にてまします、此ころ、山科妙見菩薩も開帳にて、にきはしきよしうけ給はる、それより祇園へまいりけるに、又人にあひ侍りて、すゝめられてさりかたく、夕つかたより、祇園のすはま屋へまかりて、しはし酒のみてかへりぬ」
☆法林寺(左京区法林寺門前町)は、山号朝陽山、浄土宗。『京羽二重』(貞享2年刊)に「三条大橋東詰上ル。俗にだんのと云」とある。鎮守に主夜神堂があり、『都名所図会』に伝説が載る。又、池大雅が塔頭清光院に寓居し、山口素絢(文政元年没)の墓がある。


 運命的な出会い  

 この月、父の17回忌で一時帰省します。この時の記事には宣長には珍しく食べ物のことが書かれています。それともう一つ、友人草深宅に立ち寄ります。
 大野晋氏は、この時に宣長は友人の妹・民を見初めたのではないかと推測します。民さん、後に宣長の妻・勝となる人です。
4月19日、好天。松坂帰省のため京出立、東海道を下り、大津打ち出の浜から矢橋まで船で渡り、草津を越え、目川で名物の菜飯田楽を食べ、水口泊。宿は小まつ屋何某。水口家中岩谷順蔵を訪う。
4月20日、鈴鹿峠を駕篭で越え、関で南禅寺豆腐によく似たものを食べ、津の佐々木屋に宿を取る。食事湯浴みの後、草深玄周を訪い、結局草深に泊まる。堀家で一緒だった松田東三郎も同席。丑の刻(午前2時頃)まで物語。
4月21日、巳の刻(午前10時頃)起床、松田氏を訪う。松田、佐々木屋まで来て物語、午の刻前出立、六軒茶屋で迎えの茂八に会い、未の刻に松坂帰着。
4月23日、父17回忌法事。


 妙楽寺に遊ぶ  

「 四月の晦日かたにこれかれるいして山室といふ山寺へ時鳥きゝにまかりたりけるに一声もなかさりける此程はいかにととふにあるしの大とこなともまた初音きかぬよしいはれければ
 住む人も まだ聞かずてふ 言の葉を 家づとにてや けふはかへらん
  ところにつけたるたかうな(竹の子)など調じてあるじせられけるがとかくする程にやうやう暮れ方近くなりければ
 長き日も やゝくれ竹の この寺に 一夜明かして 帰りもやせむ」 (宝暦14年・35歳) この2首は、妙楽寺に行った時の歌。


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◇ 始めての江戸行き ◇ 修学旅行 ◇ 京都徹底探索
◇ 京都での日々 ◇ 運命的な出会い ◇ 妙楽寺に遊ぶ
◇ 4月の参宮 ◇ 4月の学問  


毎月の宣長さん
四月の宣長