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 菅相寺の西瓜  京都の6月  『源氏物語』の講釈

 菅相寺の西瓜  

「 夏の比、菅相寺にて和歌会しける時、むかひに見ゆる山里をいつこそととへは駅部田となんいふ、此里の名を句の上にすへて蚊遣火の烟の立を見てよめる
 まつ陰の 宿のかやり火 野をとをみ へだつる雲に たちまがふ也
※各句の頭を取ると「まやのへた(駅部田)」となる。

  同し時西瓜をふきの葉にもりていたしたるをくひてよめる狂歌
 すずしやと 飽かずいく葉も もりかへて くふ気味よさに 夏も忘れぬ
※「すいくは(西瓜)」と「ふき」を読み込む。

  同時 西瓜
 くふからに 涼しき身(実)にぞ 成にける 秋くる方の 名にしふうり
※「秋来る方」とは西のこと。

 宝暦10年6月20日、菅相寺歌会での作。宣長が行事を勤める。この日は他に「当座 橋杜若」2首も詠む。同会ではこの月が最も盛会であった。兼題出詠は小津正啓、稲懸棟隆、須賀直躬、山口昭方、宣長。探題は正啓、義方、宣長、明達、光多(名前だけで歌は未載)、昭方、棟隆、直躬。また当座もあった。

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菅相寺の西瓜
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菅相寺 碑 

>>「菅相寺歌会」


 京都の6月  

宝暦2年(23歳)   6月10日、四条河原で納涼。その水面に映る美しさと賑やかさに感激する。
宝暦4年(25歳) 6月下旬、諸国で雨乞いの噂を聞く。
宝暦5年(26歳) 6月29日、母宛書簡執筆。黒綿入れ羽織(長け2尺9寸)、木綿綿入れの寝間着と普段着を依頼する。この年は5月まで余寒が続いたので、早めに準備を依頼したのかもしれない。
同年6月上旬、雨が多く、鴨川増水し、四条河原の納涼がない日が多かったので、延長を願い出て受理される。この頃、宣長は糺の森の納涼に出かけるか。
宝暦6年(27歳) 6月14日、祇園祭。大夕立有るが暮れ方には上がる。はじめて涼み有り。三条での用事の帰り「大橋へ出て、川原のけしき見侍るに、星の如くにともしひ見えて、いとにきはゝし、かゝる事は、江戸難波にもあらしと思ふ、ましてさらぬゐなかなとはさら也」と感動する。四条川で水死者との噂を聞く。母宛書簡執筆する。
宝暦7年(28歳) 6月末、京極押し小路の南で夜毎つぶての怪事のあること、また霊山の化け物の噂を聞く。
宝暦8年(29歳) 6月11日、嶺松院会。兼題「松風如秋」で「住吉」を詠み、同月25日兼題「夕風」でもやはり「住吉」を詠むのは京都養子の件が不調に終わり松坂住みを決めたことと関係あるか。
  歌は、

   松風如秋
 おきつ波よるは涼しき住よしの
     まつのこづゑにかよふ秋風

   夕立
 うら風にあはちの嶋の夕だちに
     すゝしさをよぶすみよしの松

で「住みよし」と「住吉」を懸けたとも推定されている。

 『源氏物語』の講釈  

 宝暦8年(29歳)夏、第1回『源氏物語』講釈を開始。明和3年(37歳)6月30日終わる。開始より8年目。
【関連項目】 「『源氏物語』講釈」


◇ 菅相寺の西瓜 ◇ 京都の6月 ◇ 『源氏物語』の講釈
◇ 6月の写本 ◇ 『紫文要領』 ◇ 古体の歌
◇ 『古事記伝』の執筆終わる ◇ 『日記』に見る松坂祇園祭


毎月の宣長さん
六月の宣長