【もっと知りたい】

 たなばた  7月大好き人間「堀景山」

 たなばた 

らんさん

ら ん

和歌子

和歌子さん
和歌子 『古事記伝』に「たなばた」について書かれています。
抄訳してみます。 「棚機(タナバタ)というのはもともと機(ハタ)のことである。(機の構造は棚状になっているのでこうよぶ)、これを織る女神を棚機姫とよぶわけである。また、機を織る女を昔から棚機つ女という。そこで、和歌などで例の織女星(ショクジョセイ)をも「たなばた」と読みを当てる。つまりは、棚機というのは、「機を織る女」という意味である。(七月七日の夜、牽牛織女の二星が会うというのは中国の書物にある話であるが、わが国でも広まって歌にも多く詠まれている。しかし、中国の天漢を天之安河(アメノヤスカワ)とよみ、織女を棚機つ女と読むのは、よく似たものをあてはめただけである。中国で詩に作るようにわが国でも歌の題材にするが、もともと同じものではない。しかし、この伝説の方がよく知られているので、今では、かの棚機の姫神も、またこの『古事記』の歌の弟棚機をも、あの織女星とのことと解しているのはまちがいである)。さて棚機つ女というのを略して単に棚機とだけ言う例も古くから多い。また、「たまもゆらにはたおるむすめ」などとあるのは、機織り娘の着けた珠が玲瓏(ゆらゆら)と鳴るのを、仕事をしながら取る拍子のように表現したのだろう」
ら ん まだ難しい!
和歌子 ではもっと簡単に、
 日本では、機を「たなばた」と言った。「たなばたつめ」は機を織る女性である。
 中国には、織女星と言うのがあり大変有名だ。詩にも、また日本では和歌にも題材として使われている。
 本来、たなばたと織女星は同じではない。
 だから『古事記』の「弟棚機」を織女星とするのは誤りだ。
ら ん たいしたことは言ってないのですね。
和歌子 簡単なことのようですが、文献(証拠)を駆使してこれを言うのがむずかしいのです。珍しい資料を出し、こんな話がある、こんな説もあると紹介するのは存外簡単ですが、絞り込んでいくことは容易ではありません。
ら ん 「七夕」は宣長さんと関係ないの?
和歌子 宝暦7年の夏は、6月から雨が降らず、皆々困っていた。諸国では雨乞いも行われた。7月7日、やっと雨が降った。でも、都の人々は呑気なもので、お二人さんのためには残念だと言っていたそうで、宣長も同調しています。「七月七日長生殿、夜半人無く私語の時、天に在りては願わくは比翼の鳥とならん、地に在りては願わくは連理の枝とならん、天は長く地は久しきも時ありて尽きても、この恨みは綿々として絶ゆる時無からん」という『長恨歌』の一節は思い浮かべたでしょうね。歌も詠んでいます。でもあまり宣長さんは7月7日は特別視はしていないようです。やはり七夕は晴れるにこしたことはないようです。

【原文】
「されどこよひ雨すこしにてもふり侍れば、天の川のあふせ(逢瀬)なきとかや、京わらんべのことぐさに申し侍れば、二星のためには、けふの雨はいかがとぞ思ふ」『在京日記』。


 7月大好き人間「堀景山」

らんさん

ら ん

和歌子

和歌子さん
和歌子 ある夏の日のことです。堀景山先生は常々「月は七月が一番だね」と言われる。今日は7月16日、大文字の送り火でも見ながら先生宅に遊びに行こうと宣長は友人と誘い合って出かけました。 「十六日、いとあつし大方昨日今日の暑さは、あまり覚へぬ暑さにて、いと凌ぎがたしや、こよひ暮かたに、如意が嶽に大文字の火をともし侍る、奇観なり、(中略)三条の橋の上より上下を見れば、火共多く見わたされて、げに都の内ならでは、かゝる繁華はあらじといとど目驚かる。まして今宵は、精霊のおくり火とて、川瀬に臨みて松火ともし、仏の食供養の物ながし侍るとて、川原へ皆人の出侍るなり、それより縄手を過て、四条河原へ出て、西石垣を通り、屈氏(師堀景山)の木屋町の座敷へ訪い侍るに、何くれ物言い侍るほどに、東山より月の出るさま、いはむかたなくおかし、この月は、例よりも月遅く出るやうに覚て、まことにこよひは、山の端にいざよふ(十六夜・イザヨイ)といふべし、山際少し雲かかりて、しばし中空より雲を出侍る月、絵にかけらんやう也、先生のつねに月は七月にまさることなしと宣へるが、げにやはらかにて、しかも秋のけしきすみわたりたる影、いとおもしろし、川水に影うかみてぞ、さらに涼しく覚え、孟明のぬしなどと和歌詩などの物語して、夜ふかく迄居たり。川原へ出て、月影にうかれありきたるなど、もろこし人のふるまひも思ひ出られて、いとおかし」(宝暦6年・宣長27歳)
ら ん 「唐土人(モロコシビト)の振る舞い」ってなに?
和歌子 「壬戌の秋七月既望、蘇子客と船をうかべて赤壁の下(モト)に遊ぶ。清風おもむろに来たり、水波おこらず。酒を挙げて客に属して、明月の詩を誦し、窈窕の章を歌う。しばらくして月東山の上に出でて斗牛の間に徘徊す。白露江に横たわり、水光天に接す。一葦のゆく所をほしいままにし、万頃の茫然たるを凌ぐ。浩々乎として虚により風に乗りて其の止まる所を知らざるが如く、飄々乎として世をわすれて独立し羽化して登仙するが如し」。これは1082年、宋の詩人蘇東坡が作った『前赤壁賦』の冒頭、きっとこんな情景を指すのでしょう。
ら ん 唐土人のまねをして宣長もお酒を飲んだのかな?
和歌子 「味噌の味噌臭きと学者の学者臭いのは鼻持ちならぬ」と言い憚らない堀景山先生だから月を眺めて番茶を啜るという不粋はしなかったと思うけど・・・


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