| 〈4〉 『古事記』とは何か
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京都から帰って医者を開業してからも、思索の日々が続きます。
『日本書紀』立派な漢文だ。でも、これは中国の人が読んでも感心するように文章を飾ってるかも知れない。『先代旧事本紀』は偽書(ニセモノ)らしい。
やっぱり『古事記』か。
ところで『古事記』は稗田阿礼(ヒエダノアレ)が覚えていたことを、太安万侶が漢字で書いた本だ。たとえば「カミ」と阿礼が言ったら太安万侶は、当時はひらがなもカタカナもないから、中国の漢字でよく似た意味の言葉の「神」を使って書く。あるいは漢字の音を借りて書くという作業を繰り返していった。
ワープロでデタラメに漢字変換した見鯛名茂野田、まちがった、みたいなものだ、はちょっと言い過ぎかな。
つまりこの本を「読む」ということは、もう一度、阿礼の言葉に戻すことだ。
では最初の「天地」はどう読む? アメツチとルビが振ってあるけど本当かな。
いろいろ考えて書いたのが「阿毎莵知弁」(13)。しかしこの調子では全3冊いつになったら読めるのやら見当も付かない。でも、読まないと始まらない。
宣長が『古事記』を解読を決意したのは34歳の頃だ。長男(後の春庭)も生まれて家も賑やかになった。
しかし志は立ててみたものの、道は遠い。 |