| 〈5〉 松阪の一夜 賀茂真淵との出会い
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5月のある日、宣長は賀茂真淵が松阪に来訪したことを聞きます。
真淵と言えば、京都から帰った頃から何度も読んでいる『冠辞考』(カンジコウ)の著者ではないか。古典研究の最高権威だ。ひょっとしたら『古事記』研究についても教示していただけるのではと考えた宣長は、紹介状も持たないで日野町にあった旅宿・新上屋を訪ねます。
5月25日(7月5日)梅雨空の日でした。
真淵は、宣長の話を聞き、よい心掛けだ。あなたは若いから今から努力をすれば志を遂げることが出来るだろう。しかしあせってはならない。低いところをしっかりと固めてから高いところへと進みなさい、とねんごろに教え諭し、先ず『万葉集』だ。これをしっかりと学び、それから『古事記』に進みなさいと助言します。
そして、もし不明なことがあれば手紙で尋ねてくれば答えてあげようと約束してくれるのです。今の通信教育です。江戸に住む真淵と、松阪の宣長、400kmの距離を隔てた二人の間で手紙による指導が始まったのです。
『万葉集問目』(2)は宣長の質問に真淵が答えた本です。展示は大伴家持の歌に出る「カタカゴ」についての質問に、真淵先生が絵まで描いて答えてくれたのです。
もののふの 八十をとめらが くみまがふ 寺井の上の カタカゴの花(4143)
群れなす少女が汲みさざめく寺井のそばのカタカゴの花よ
※「もののふの」は八十にかかる枕詞。
でも宣長は納得できません。 |