| 〈1〉 宣長の生い立ち |
宣長は江戸時代の中頃、1730年5月8日(今の暦で6月21日)松阪に生まれました。家は木綿を商う商家でした。11歳の時にお父さんが死にます。宣長(当時は富之助と言いました)は本を読むことは好きでも商売には関心が無く、江戸に商売の見習いに行っても一年で帰される始末。17歳から2年半ほどは家に閉じこもり地図を書いたり和歌の勉強をしてみたりと孤独な日々を送っていました。でもこのモラトリアムのような2年半がその後の宣長を決定付ける大事な時間となったのです。
その一つが京都と和歌(『和歌の浦』(11))への関心。また研究方法としては系図と地図の使用です。
その中から、連続は尊いという価値観が生まれてくるし、また中国と日本の歴史の対比という視点も出てきました。
☆ 驚きの作品群
『神器伝授図』(10) 中国4000年の皇位継承図。長さ10m。15歳の時の作。
『大日本天下四海画図』(5) 17歳の大作。
『都考抜書』&「洛外指図」(1) 宣長が編纂した京都の文献集成と京都郊外図。
「端原氏城下絵図」(11) 架空都市図。系図もセットになっています。 |
| 〈2〉 京都に行く 契沖の学問との出会い |
いろいろありました。万策尽きてしまった母は、医者はどうだいと宣長に勧めます。あこがれの京都に行ける、商売をしなくてもよい、宣長は喜んで母の指示に従います。そして上京し、堀景山のもとでまず儒学の勉強から開始します。23歳の時です。
上京してまもなくの頃、宣長は契沖(ケイチュウ)の『百人一首改観抄』(13)と言う本を読みます。そこにはこれまで自分が思っていたのとは全く違う学問の世界がありました。
「契沖ノ説ハ證拠ナキコトヲイハズ、他ノ説ハ多クハ證拠ナシ」
『百人一首改観抄』宣長書入
証拠を挙げて論証していく方法。この魅力に宣長は取り付かれました。
契沖の方法を習って、和歌とは何か論じたのが『排蘆小船』(アシワケオブネ)(11)です。 |
| 〈3〉 『古事記』を買う |
京都で儒学や医術を学び始めた宣長ですが、契沖の『百人一首改観抄』を読んでからというもの、どうも日本の古典のことが頭から離れません。
そんな宣長を見ていた堀景山先生が、日本のことに興味があるならこの本を貸してやろうと『日本書紀』(13)をわたされました。
借りた本をていねいに読んでいました。
よく似た本があるよ。ある日、京都の町を歩いていた宣長は『古事記』(2)・『先代旧事本紀』(13)の古本がセットで売っているのを見つけ、お金を工面して買い、いろいろ比べてみました。『古事記伝』執筆の長い道のりが開始されたのです。
★値段は『古事記』3冊、『先代旧事本紀』5冊で10匁2分、仮に1両を10万円とすると、2万円弱くらいかな。(『宝暦二年以後購求謄写書籍目録』(13)) |
| 〈4〉 『古事記』とは何か |
京都から帰って医者を開業してからも、思索の日々が続きます。
『日本書紀』立派な漢文だ。でも、これは中国の人が読んでも感心するように文章を飾ってるかも知れない。『先代旧事本紀』は偽書(ニセモノ)らしい。
やっぱり『古事記』か。
ところで『古事記』は稗田阿礼(ヒエダノアレ)が覚えていたことを、太安万侶が漢字で書いた本だ。たとえば「カミ」と阿礼が言ったら太安万侶は、当時はひらがなもカタカナもないから、中国の漢字でよく似た意味の言葉の「神」を使って書く。あるいは漢字の音を借りて書くという作業を繰り返していった。
ワープロでデタラメに漢字変換した見鯛名茂野田、まちがった、みたいなものだ、はちょっと言い過ぎかな。
つまりこの本を「読む」ということは、もう一度、阿礼の言葉に戻すことだ。
では最初の「天地」はどう読む? アメツチとルビが振ってあるけど本当かな。
いろいろ考えて書いたのが「阿毎莵知弁」(13)。しかしこの調子では全3冊いつになったら読めるのやら見当も付かない。でも、読まないと始まらない。
宣長が『古事記』を解読を決意したのは34歳の頃だ。長男(後の春庭)も生まれて家も賑やかになった。
しかし志は立ててみたものの、道は遠い。 |
| 〈5〉 松阪の一夜 賀茂真淵との出会い |
5月のある日、宣長は賀茂真淵が松阪に来訪したことを聞きます。
真淵と言えば、京都から帰った頃から何度も読んでいる『冠辞考』(カンジコウ)の著者ではないか。古典研究の最高権威だ。ひょっとしたら『古事記』研究についても教示していただけるのではと考えた宣長は、紹介状も持たないで日野町にあった旅宿・新上屋を訪ねます。
5月25日(7月5日)梅雨空の日でした。
真淵は、宣長の話を聞き、よい心掛けだ。あなたは若いから今から努力をすれば志を遂げることが出来るだろう。しかしあせってはならない。低いところをしっかりと固めてから高いところへと進みなさい、とねんごろに教え諭し、先ず『万葉集』だ。これをしっかりと学び、それから『古事記』に進みなさいと助言します。
そして、もし不明なことがあれば手紙で尋ねてくれば答えてあげようと約束してくれるのです。今の通信教育です。江戸に住む真淵と、松阪の宣長、400kmの距離を隔てた二人の間で手紙による指導が始まったのです。
『万葉集問目』(2)は宣長の質問に真淵が答えた本です。展示は大伴家持の歌に出る「カタカゴ」についての質問に、真淵先生が絵まで描いて答えてくれたのです。
もののふの 八十をとめらが くみまがふ 寺井の上の カタカゴの花(4143)
群れなす少女が汲みさざめく寺井のそばのカタカゴの花よ
※「もののふの」は八十にかかる枕詞。
でも宣長は納得できません。 |
| 〈6〉 よく考える |
宣長は納得が行くまでずっと考え続ける、というか頭の引き出しにしまっておくタイプです。医者をやりながら、近所付き合いをしながら、何か参考になりそうなことがあると、引き出しを開けて考えてまた仕舞うそんな生活です。一心不乱に考え続けるようなことはしません。
カタカゴ説もよく考えてみて、もう一度今度は植物に詳しい人に尋ねてみようと選んだのが津に住む谷川士清(コトスガ)さんでした。
カタクリとはどんな植物ですか。
展示の書簡(2)はその回答です。この後、宣長はカタクリとカタカゴ同一説(つまり真淵説)をどう考えますかと士清に再度質問しています。
先生を信じる信じないと言うことではなく、納得できたか否かが問題なのです。 |
| 〈7〉 質疑応答のすすめ |
宣長さんは真淵先生との質疑応答から多くのことを学びました。
今度は宣長が教える番です。
その話の前に質問に至るまでのステップについてご説明します。
☆ 本を書くこと・出版すること
宣長は研究したことはまとめるべきだと考えていました。出来れば出版すべきだとも考えていました。なぜなら宣長が契沖や賀茂真淵の説を知ることが出来たのも、みな本が出版されて売っていたからです。
ただ出版には労力、時間そしてお金がかかります。
そこで宣長は、書き上がった自筆本を貸してあげ、また人からも借りて写します。
余力があれば出版することはもちろんです((7)ケースをごらん下さい)
本を読んでわからないことは手紙で質問です。
宣長は、知人で神宮の神主・荒木田経雅(ツネタダ)の質問に答えたあと、この前の回答はいかがでしたか、納得いかなかったら何度でも聞いてください、質疑を繰り返す内に、お互いさらによい意見が出てきますからと言っている(「荒木田経雅宛書簡」(2))。
宣長が寄せられた質問に答えた本が『答問録』(2)です。
48歳から50歳の頃のもの。全部で55の質問と回答を載ります。
たとえば、「陸奥」をどうしてムツと読むか。垂加神道とはなんだ。鈴の起源と「さなぎ(佐那伎)」について。疫病神はどんな神様か。実に様々です。 |
| 〈8〉 宣長さんの勉強法
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宣長の勉強法と言ってもいろいろありますが、一番大事なことは、継続です。
継続するためには、たとえば毎日の生活や交際などもきちんとすることが大事だと考えていたので、日常生活の細々したこと、たとえば収入と支出、冠婚葬祭、仕事の覚えなどをきちんと記録していました。それも一冊に何もかも書くのではなく、目的別にノートを作成していました。たとえば和歌山に行くときには全回の和歌山行きの記録を持参すると言ったようにいつでも活用できる記録を整理しています。
この他にもいくつかの方法があります。
- ていねいに書く これは簡単そうで大変難しいことです。特に『古事記伝』自筆稿本(2)や、(12)ケースの『伊勢物語』や『新撰字鏡』など写本類をごらん下さい。筆跡に乱れがない。誤字がない。見事です。
- 図解する 本にはほとんど挿し絵を入れていませんが、思索の過程では図解しています。「天地図」(4)・(14) また日常生活の中でも図で描く方が早いときには図を書きます。京都で借りた借家の調子が良いと報じた書簡(8)や自分のお墓についての指示(6)・(8)がその好例です。
- じっくり考える これは先にも述べた通り、例えば『古事記』を購入してから志を立て、書き始めるまで約10年位時間をかけています。あせらない、あきらめにのが宣長さんの方法です。
- 基本書をうまく使う 今回は、宣長の傍らに置かれていた本をいくつか展示しました(16)ケースの『日本王代一覧』や『年代記』などです。また地図や系図なども机のそばに置いて、この事件が起こった場所はどこか。時代的にはどの位置にあたるかなどを常に確認して本を読んだり、また研究したりするのです。
- 複数のテーマを持つ これは高い志を立てて進めという宣長さんの教え(『うひ山ぶみ』)と一見反するようですが、実は志を遂げるための方法でもあるのです。だから、志までは行かなくてもいくつかの目標を並行して進めていっています。例えば『古事記伝』着手前後に『源註拾遺』(13)を写したり、『古今著聞集』を抜き書き(『本居宣長随筆』(12))するのはその例です。
- 全体眺望 宣長さんは高いところが好きでした。全体眺望が得られるからです。地図が好きなのもそのためでしょう。学問でも同じです。空間、時間の広がりの中での位置付けをいつも心がけています。
- 気分転換 たまには息抜きも必要です。宣長さんの場合、鈴やまた歌を読むことが格好の息抜きになったようです。
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