『玉勝間』を読もう (3/8)
らんら ん
和歌子和歌子
 

 3,なぜ執筆したか・刊行したか


ら ん

なぜ書いたのですか?
和歌子

 先ほど引いた歌にあるように、

言草(ことば)が、すずろに(思いがけなく)たまったので、美しい篭に摘もう。
そうすれば、自分の心を伸べ、また述べることができるし、野辺での遊びとなる、
気分転換となるだろうと言っています。
 若い頃からの読書や考察のメモの中から取捨選択したものと、
学者としての意見や好み、自分の歩んできた道を素直に語った随筆の部分と、二つが合わさっています。見逃してはならないのは、それを出版した点ね。

ら ん 生前の刊行ですよね。
和歌子
「いにしへの書共を考へてさとりえたりと思ふかぎりは、みな書にかきあらはして、露ものこしこめたることはなきぞかし」
(巻7「おのれとり分て人につたふべきふしなき事」上297)
 つまり考え得たことは全部本に書いたと自負するわけですから、出版に意味があります。
 刊行は、寛政7年(66歳)から、没後の文化9年(1812)。
ただ、経費削減のためか刷りはあまりよくありません。
また巻3には初版と再版で記事の差し替えがあります。
ら ん メモまで公開する。
和歌子  そうね、課題を与えていったわけね。
 それと既にたくさんの本を刊行して、
賀茂真淵の後継者を自負している「本居宣長」という人は、
こんな考え方をする人だという表明でもあったはずね。
ら ん ところで、宣長の書いた本には「玉」がよくついていますね。
和歌子  『草庵集玉箒』・『源氏物語玉の小櫛』など10点あります。
 一番最初に「玉」がついたのは、39歳の時に刊行された『草庵集玉箒』かもしれません。
ら ん 「玉勝間」という名前は宣長の作った言葉ですか?
和歌子  違うわ。『万葉集』にも出ています。
 19歳頃に書いた『和歌の浦 二』に、
「万葉拾穂抄口訣【季吟撰】」からの引用として 「十二○玉勝間(タマガツマ)【本文アリ、秘訣別ニ注ス云々】」
とあるのが、この言葉と出会った最初かと思います。