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ら ん |
なぜ書いたのですか? |
| 和歌子 |
先ほど引いた歌にあるように、
言草(ことば)が、すずろに(思いがけなく)たまったので、美しい篭に摘もう。
そうすれば、自分の心を伸べ、また述べることができるし、野辺での遊びとなる、
気分転換となるだろうと言っています。
若い頃からの読書や考察のメモの中から取捨選択したものと、
学者としての意見や好み、自分の歩んできた道を素直に語った随筆の部分と、二つが合わさっています。見逃してはならないのは、それを出版した点ね。
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| ら ん |
生前の刊行ですよね。 |
| 和歌子 |
「いにしへの書共を考へてさとりえたりと思ふかぎりは、みな書にかきあらはして、露ものこしこめたることはなきぞかし」
(巻7「おのれとり分て人につたふべきふしなき事」上297)
つまり考え得たことは全部本に書いたと自負するわけですから、出版に意味があります。
刊行は、寛政7年(66歳)から、没後の文化9年(1812)。
ただ、経費削減のためか刷りはあまりよくありません。
また巻3には初版と再版で記事の差し替えがあります。 |
| ら ん |
メモまで公開する。 |
| 和歌子 |
そうね、課題を与えていったわけね。
それと既にたくさんの本を刊行して、
賀茂真淵の後継者を自負している「本居宣長」という人は、
こんな考え方をする人だという表明でもあったはずね。 |
| ら ん |
ところで、宣長の書いた本には「玉」がよくついていますね。 |
| 和歌子 |
『草庵集玉箒』・『源氏物語玉の小櫛』など10点あります。
一番最初に「玉」がついたのは、39歳の時に刊行された『草庵集玉箒』かもしれません。 |
| ら ん |
「玉勝間」という名前は宣長の作った言葉ですか? |
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和歌子 |
違うわ。『万葉集』にも出ています。
19歳頃に書いた『和歌の浦 二』に、「万葉拾穂抄口訣【季吟撰】」からの引用として 「十二○玉勝間(タマガツマ)【本文アリ、秘訣別ニ注ス云々】」
とあるのが、この言葉と出会った最初かと思います。 |