物まなびの系譜 宣長再発見 後期展   

1,「賀茂真淵書簡」 〔石水博物館蔵〕

もうお前の質問には答えない。
明和3(1766)年9月16日付。賀茂真淵(71歳)差出、宣長(37歳)宛。
宣長の送った論文『万葉集重載歌及巻次第』に激怒し、
  「か様の御志に候はば向後小子に御問も無用の事也・・
  惣而信じ給はぬ気顕はなれば、是までの如く答は為まじき也。
  しか御心得候へ」

(お前考えがこんなものなら、これからは私に質問することは意味がない。
・・私の云うことを信じていないことがはっきりした以上、
これまでのように質問に答えることはしない。
そう心得ておけ)。
事実上の破門状だが、
文章には失意と無念さの中にも、
弟子宣長の改心への期待がにじみ出ている。


2,「宣長懐紙」〔個人蔵〕

 家の仕事はちゃんとしなさい。
 70歳になった宣長に松阪の門人・村上円方(まとかた)が質問をした。
先生、学者の心得を聞かせてください。
 宣長は二、三日考えてこの歌を贈った。
歌の主旨は、学問に熱を入れる余り家業を疎かにすることを戒めたもの。
後年、養子の大平は学問のなかで大切なことは何かと問われた時に、
この歌を引き、その意味をていねいに説き諭している。
「家のなりなおこたりそねみやひをの


3,「本末歌」1幅 〔個人蔵〕

宣長の一番言いたかったことを長歌に詠んだのが「本末の歌」。
今回展示するのはそれを書く時の下敷き。
一度紙に書いてみたが字配りなどが上手く行かず中断し、
朱で線を引き次に書くのに備えた。
宣長も失敗するのだという珍しい例であるし、
また失敗を繰り返さない慎重な配慮がうかがえる。
このような下敷きが用意されたことからもわかるように、
この長歌はしばしば書かれ、生前中では多忙な父に代わり春庭が、
没後も養子大平が代筆している。
  
「本と末」(もとすえ)、あるいは必要と不必要は、
宣長の思想やまた価値判断の中でも重要な概念の一つ。
たとえば、なぜこのことが問題となるのかという目的を明確にし、
その中でこれは大事、これはそれほど重要ではないというように分け
本末転倒することがない。そのような考えを詠む。


4,「常盤雪行図」 ときわせっこうのず


宣長の賛は、
「しら雪の かゝるうき身の なげきにも こずゑ花さく 春をこそまて」

常盤(ときわ)は源義朝の妾。今若、乙若、牛若(源義経)の三人の子を産む。
平治の乱で一時は大和国龍門に隠れるが、
母を救うために六波羅に子どもと一緒に出頭する。
絵はその場面を描く。
美しさで清盛の寵愛を受けるが、やがてその愛情も冷めてゆく。
波瀾の生涯は『平家物語』など数々の物語に描かれた。

宣長がこの歌を詠んだのは、寛政3年(1791)、
『石上稿』の詞書には
「平治のみだれに源義朝の妻ときはが雪のふるに
三人のいときなき子共をゐてさすらひゆくかたかきたる絵に
人の歌こひければ」
とある。
歌の評判もよく、子どもを連れた絶世の美人が
雪の中で難渋するというこの「常盤雪行図」は、
宣長の画賛では最も注文の多い画題の一つとなった。
宣長没後も依頼があり、美濃が代筆をする。

 ◇ 守静筆。本居宣長賛。〔石水博物館蔵〕
   画家の伝記は不明。
 ◇ 月岡雪斎画、宣長賛。〔個人蔵〕
   雪斎は、肉筆美人画で有名な月岡雪鼎の長男。
 ◇ 中邨南山画。賛宣長詠・小津美濃代筆。〔本居宣長記念館蔵〕
   画家の伝記は不明。
   賛には、「文化三年春 本居氏 美濃書」とある。




5,「本居宣長懐紙」1幅〔個人蔵〕


寛政元年3月21日、宣長名古屋行きの途中佐屋川にて詠んだ歌。
万葉振り。筆跡も歌によく沿う。

  「尾張の国に物すとてさや川を船よりのほる時によめる、
 みはかしの 佐夜の河しり こきためは 桑名も見えず
国遠そきぬ」

箱書「鈴屋翁自詠」。
蓋裏「ながれての世にもさやかにさやかはの濁あらしとみつ茎の跡、広蔭」。〔初公開〕




6,「本居宣長詠草」(鈴屋翁花月六首)」〔個人蔵〕


明和7年(1770)、宣長41歳に詠んだ「花月百首」
(花と月の題で百首の歌を詠む)から
6首を厳選して清書したもの。養子本居大平の箱書がある逸品。

第一首は「花を翫(もてあそ)ぶ」と言う題で、
 「立なるゝ 庭の木陰に やどながら 浮き世わするゝ 花盛かな」
 (我が家の庭なのに花が咲くと別世界に来た心地がするよ)、

第二首は「旅宿の花」、
 「何となく 宿りし陰も 闇の夜の 明て驚く 花の下伏し」
 (目が覚めてびっくり。宿の桜の花が見事に咲いている)。

師の真淵が推奨した万葉振りとはずいぶん違う
宣長得意の新古今調の歌。
養子本居大平の箱書がある。




7,『彗星図』〔松阪市郷土資料室蔵〕


>> 明和7年のオーロラ(メイワシチネンノオーロラ)


8,「本居宣長七十二歳像」〔個人蔵〕


鴨川井特(かもがわせいとく)画

普段着の宣長。
宣長像はみな鈴屋衣という学者としてトレードマークとなっている着物を着るが、この像は古代紫の羽織姿でしかも手あぶりに手をかざすために体をひねっている。
この絵には、隣の部屋からのぞいて描いたと言う伝承も残っている。
日常生活の一コマを描いた作品。
享和元年(1801)9月、宣長亡くなる直前の姿。

事情があって人の目にも触れることなく200年近く経て、
20年近く前に記念館で初めて公開し、
幻の宣長像が出現と評判になった。