●「端原氏城下絵図」(はしはらし じょうか えず)
19歳の宣長が描いた架空の都市図です。御所を中心とした町で、道は碁盤の目状に整然と並び、上下には川が流れています。京都を参考にして描いたと思われます。 宣長は京都に憧れを持っていました。松坂も良い町だと言っていますが、大好きな松坂でもダメな部分があったようです。 「松坂のあかぬ事は、町筋の正しからずしどけなきと、船のかよはぬとなり」 この地図は、宣長の理想を詰め込んだ都市なのですね。
●「端原氏系図」(はしはらし けいず)
「端原氏城下絵図」に住んでいる「端原氏」の一族や家臣を系図としてまとめたのが「端原氏系図」です。端原氏も架空の人物。それぞれに生年や幼名、通称、屋敷の場所などが記されています。驚くことに、人名のみでなく、地名や年号まで架空のもの。すべて宣長の想像です。 この系図は、『古今選』(万葉集などを写しています)の紙背(しはい・紙の裏)に書かれていました。今は両方とも見ることができるように改装されています。
●「短冊箱」(たんざくばこ)
当時の松坂は、紀州藩領の飛び地でした。宣長が学者として有名になってくると、紀州藩10代藩主である徳川治宝(とくがわ はるとみ)侯からお呼びがかかりました。 寛政6年(1794年)宣長は和歌山を訪れます。この時は、吹上御殿で3日間、朝から晩まで『源氏物語』の講義をしました。お相手は、治宝侯の祖母である清信院(せいしんいん)、そして、治宝侯の妹君である備姫(のぶひめ)もいました。 この時にいただいたのが干菓子やお茶、銀3枚、そして、今回の期間限定展示品「短冊箱」です。
普通の短冊箱と違い、真ん中が膨らんでいます。「琴」をかたどっているのですね。 箱のフタには、和歌浦の松が描かれています。とっても雅やかで美しい一品です。
本居宣長記念館
〒515-0073 三重県松阪市殿町1536-7 TEL:0598-21-0312 / FAX:0598-21-0371
2012.10.27