10月30日(火)から 11月18日(日)まで
3週間の期間限定で「端原氏城下絵図」「端原氏系図」「短冊箱」の3点を
特別展示します!


資料って、とってもデリケートなので、光や温度・湿度に弱いんです。
この3点は特に影響を受けるから、なかなか展示できないもの。
でも、今回は、どーんと展示します。
次に展示出来るのは、いつになるか分かりません!じーっくりご覧になってくださいね!

●「端原氏城下絵図」(はしはらし じょうか えず)

19歳の宣長が描いた架空の都市図です。御所を中心とした町で、道は碁盤の目状に整然と並び、上下には川が流れています。京都を参考にして描いたと思われます。
宣長は京都に憧れを持っていました。松坂も良い町だと言っていますが、大好きな松坂でもダメな部分があったようです。
「松坂のあかぬ事は、町筋の正しからずしどけなきと、船のかよはぬとなり」
この地図は、宣長の理想を詰め込んだ都市なのですね。

この地図を見て、よく似た場所を思い出さない?

えーっと??
ほら、このままじゃなくて、地図をたてて(こちら側を下にして)見てみて!

・・・あっ!!!
京都に似てる!!

 そう!この地図は、
 京都にそっくり
 なんです。


●「端原氏系図」(はしはらし けいず)

「端原氏城下絵図」に住んでいる「端原氏」の一族や家臣を系図としてまとめたのが「端原氏系図」です。端原氏も架空の人物。それぞれに生年や幼名、通称、屋敷の場所などが記されています。驚くことに、人名のみでなく、地名や年号まで架空のもの。すべて宣長の想像です。
この系図は、『古今選』(万葉集などを写しています)の紙背(しはい・紙の裏)に書かれていました。今は両方とも見ることができるように改装されています。


●「短冊箱」(たんざくばこ)

当時の松坂は、紀州藩領の飛び地でした。宣長が学者として有名になってくると、紀州藩10代藩主である徳川治宝(とくがわ はるとみ)侯からお呼びがかかりました。
寛政6年(1794年)宣長は和歌山を訪れます。この時は、吹上御殿で3日間、朝から晩まで『源氏物語』の講義をしました。お相手は、治宝侯の祖母である清信院(せいしんいん)、そして、治宝侯の妹君である備姫(のぶひめ)もいました。
この時にいただいたのが干菓子やお茶、銀3枚、そして、今回の期間限定展示品「短冊箱」です。


短冊箱

普通の短冊箱と違い、真ん中が膨らんでいます。「琴」をかたどっているのですね。
箱のフタには、和歌浦の松が描かれています。とっても雅やかで美しい一品です。



――この「短冊箱」はどうして期間限定展示なの?

これは木で作られているから、温度や湿度の変化に敏感なのです。――
  バキって割れてしまうこともあるから、細心の注意が必要。     

――気候のよい時期にしか出せないんだね。
  それにしても、綺麗な箱ですね。

名前の通り、短冊を入れておく箱です。――

治宝侯は、この時の講義の様子を清信院から聞いたのでしょうか。寛政11年(1799年)、再び和歌山を訪れた宣長に、治宝侯は『源氏物語』の講義を所望されたそうです。翌年に訪れた際は、治宝侯から直々に「久しい」と、お声もかけていただいています。

 


本居宣長記念館

〒515-0073 三重県松阪市殿町1536-7
TEL:0598-21-0312 / FAX:0598-21-0371

 

2012.10.27