万両箱を見たあとは、土蔵で商人秘蔵の逸品を

 松阪商人の館(旧小津清左衛門家住宅)土蔵の展示室で、
小津茂右衛門コレクション(本居宣長記念館所蔵)の
木下逸雲の「秋山初霽図」(初公開)など、
おもに晩秋から初冬の風情を描いた作品6点を
12月25日まで特別公開します。
中でも逸雲の作品は、決して大きくありませんが、すばらしい作品です。

出品資料は次の通りです。  
1,「秋景山水図」 池田雲樵画 1幅 
2,「月に郭公図」 狩野養信画  1幅 
3,「秋山初霽図」 木下逸雲画  1幅
4,「楽有其中」   二条斎敬書  1幅
5,「山の神の句」 菊地二日坊作  1幅
6,「雁の画賛」  中川麦林筆  1幅


◇ 解説

1,「秋景山水図」 池田雲樵(うんしょう)画       
「湘江大来筆意、時在己未初冬朔 雲樵生(落款)(落款)」。
大意は、中国の湘江の画家、大来の筆法に倣った。安政6年(1859)10月朔日の作。
雲樵(1825〜86)は伊賀(三重県)の人。
前田暢堂・中西耕石に画を習う。南画家。名は政敬、字は公維、半仙と号する。
津藩に仕えるが、のち京都に出、京都画学校教授となる。子は池田桂山。

2,「月に郭公図」 狩野養信(おさのぶ)画        
月に郭公(ほととぎす)を描く。
狩野養信(1795〜1846)は、木挽町狩野派。養信の長男。幼名は庄三郎、号は玉川、会心斎、晴川院。
1809年、「法然上人絵伝」模写、以後没するまで、大和絵、漢画、初期狩野派などの模写を550点以上行う。
1811年、幕府から二十人扶持。19年、法眼に叙せられる。28年、父狩野伊川院栄信没し、家督を嗣ぐ。33年、法印となる。

3,「秋山初霽図」 木下逸雲画        
署名「秋山初霽、丁亥三月念三日写、於東都 長崎逸雲(落款)」。
雨上がりの秋の山を描く。文政10年(1827)3月23日、江戸に於いて描かれた。
「霽」は、訓ははれるで、音はセイ、サイ。雨が止むの意味。
逸雲(1799〜1866)は長崎の人。石崎融思に画を習う。
日高鉄翁、三浦悟門と並ぶ長崎文人画の三大家。門弟に富岡鉄斎がいる。
沈南蘋派。
名は相宰、字は公宰、通称は志雅之助。号は逸雲の他に物々子、養竹山人、如螺山人。
花芯図・山水図を得意としたという。

4,「楽有其中」 二条斎敬書      
「楽有其中 孤山(落款)(落款)」
箱蓋裏には、「摂政 従一位二条斎敬卿御筆 大正十弐年参月二条公爵家ヨリ贈ラル」とある。
松阪の商人にとって、江戸は経済の地であり、文化面では京都を理想とした。
たとえば俳諧よりも和歌であり、浮世絵より狩野派、土佐派、四条円山派が尊ばれた。
そのため、公家に対する尊敬の念も篤かった。

5,「山の神の句」 菊地二日坊(ふつかぼう)作  
「御朱印で 遊ぶ子供や 山の神 二日坊」
二日坊宗雨(1711〜75)は、津(三重県)の人。
家業である医を継がず俳諧師として一生を送った。
名は宗雨、揚立(ようりつ)、号は二日坊、晩年には帰旧法子(ききゅうほうし)。
津の俳諧の祖とも云うべき人で芭蕉敬慕の念を持ち、
四天王寺境内に芭蕉文塚を建立、『文塚』を刊行した。
弟子には坐秋、林可がいる。
『阿漕雲雀』に記事がある。
松阪では、この商人の館のある本町や隣の魚町などでも、
今も12月には「山の神」が行われ、子供のまつりとして親しまれている。

6,「雁の画賛」 中川麦林筆  
「蚊屋(かや)ひとへしまふて近し雁の声 麦林」
中川麦林(1675〜1739)は、伊勢の人。
名は乙由(おつゆう)、通称、喜右衛門。
生家は材木商であったが、のち神宮の御師となり、慶徳図書と号した。
麦畑の中に草庵を結んで麦林舎と号したと言う。
芭蕉の門人だが、直接は凉莵に師事する。
凉莵と力を合わせて伊勢風俳諧を弘めた。



 松阪商人の館
   〒515−0081 松阪市本町2195
   電話0598−21−4331
開館時間
 9時〜4時30分
休館日
 月曜日・祝日の翌日・年末年始
入館料
 一般200円 高校生・小中学生100円

2007.10.4