宣長の奥墓造営予定地を示した「山室山墓地の図」(宣長筆・寛政12年(1800)9月17日)に、ルートは「岩観音道」とあります。
これは、岩肌観音ともいい、制作年代、制作者等一切不明です。
私の知る限り、この観音についてふれた文献は『伊勢州飯高郡松坂勝覧』 (延享2年3月26日奥書)だけです。
この本は、宣長の最初の著述で、松坂のガイドブックです。
そこには、「山上ニ石観音トテ、大石ニ観音ノ像アリ」と紹介されています。
つまり延享2年、1745年には既にあったことになります。
この岩観音は、今も宣長奥墓から、山室山新吉野事業の推進者であった土居光華碑(実は分骨されていたことが昨年分かりました)に行く途中にあります。
松阪方面が見える、現在では稀少なビューポイントです。
つまり、岩観音はいつも松阪の町を見守ってくださることになります。
奥墓手前の石の道しるべに、「寛政九巳五日(?)」「南無阿弥陀仏」(矢印指示あり)とありますから、信仰する人もいたのでしょう。
宣長の『伊勢州飯高郡松坂勝覧』からでも既に270年以上の時間がたっています。 彫られてからは、きっと300年はたっているはずです。
風雨にさらされてだんだん見えにくくなってきて、20年くらい前には、地殻変動でしょうか割れまで走りました。
さて去年、土居光華のご子孫の赤塚さんご夫妻が宣長と光華のお詣りに行かれたときに、この写真を撮ってきてくださいました。
その写真がとてもよく、実際これほど鮮明にお姿を写すことは至難の業です。 そこで撮影者の赤塚利夫さんに了解を得て、紹介することにしました。
宣長も見ている稀少な石仏です。
ぜひ皆さんも奥墓参拝時にはお立ち寄り下さい。

岩観音
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(C) 本居宣長記念館
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