midashi_v.gif 『冠辞考』(カンジコウ)

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 京都から帰郷した頃に宣長は、借覧した『冠辞考』で初めて賀茂真淵の学問に触れ、その偉大さを知る。

 「さて後、国にかへりたりしころ、江戸よりのぼれりし人の、近きころ出たりとて、冠辞考といふ物を見せたるにぞ、県居大人の御名をも、始めてしりける、かくて其ふみ、はじめに一わたり見しには、さらに思ひもかけぬ事のみにして、あまりことゝほく、あやしきやうにおぼえて、さらに信ずる心はあらざりしかど、猶あるやうあるべしと思ひて、立かへり今一たび見れば、まれまれには、げにさもやとおぼゆるふしぶしもいできければ、又立ちかへり見るに、いよいよげにとおぼゆることおほくなりて、見るたびに信ずる心の出来つゝ、つひにいにしへぶりのこゝろことばの、まことに然る事をさとりぬ、かくて後に思ひくらぶれば、かの契沖が万葉の説は、なほいまだしきことのみぞ多かりける」
       (『玉勝間』巻1「おのが物まなびの有しやう」)
 本書は、『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』に使われる枕詞326を五十音順に並べ解釈を付けた辞典。「枕詞」とは「たらちねの」、「あしひきの」、「石上」というような言葉でそれぞれ、たらちねのは「母」にかかり、あしひきのは「山」に、石上は「ふる」にかかる。序文には「枕詞」論が展開される。稿本『冠辞解』は延享4年(1747)頃に成立したが、刊行は宝暦7年(1757)。宣長が京都から帰ったのは同年10月。程なく見たとすると、最新刊であったことになる。現在、記念館に残るのはその後に購求した本。

◎書誌
『冠辞考』版本・宣長書入本・10冊。賀茂真淵著。袋綴冊子装。縹色地蔓草白抜模様表紙。縦27.4糎、横18.9糎。匡郭、縦22.6糎、横16.0糎。片面行数10行。墨付(1)48枚、(2)40枚、(3)25枚、(4)38枚、(5)28枚、(6)24枚、(7)20枚、(8)21枚、(9)39枚、(10)32枚。外題(題簽)「冠辞考、あいうゑを上一」(巻2以降略)。内題無。小口(宣長筆)「ア」(以下略)。蔵印「鈴屋之印」。
【序】「賀茂真淵」。
【巻末】「宝暦七のとしみな月にかうかへ畢ぬ、高梯秀倉、村田春道」。
【跋】「宝暦七のとし八月、たちはなの枝直しるす」。
【刊記】「書林、日本橋通三町目須原屋平左衛門」。
【参考】
 宣長書き入れが多い。巻8には「ひさかたの天・あしひきの山」と題する長文の考察を貼り付ける。同巻表紙に貼り紙有り、「ひさかたノ部ニ故大人御自筆ノ【ヒサカタノ天アシヒキノ山】ノ御考一枚有リ、落散ラシ事ヲ思ヒテ糊(ノリ)ヲ以テ附置者也、稲彦云」と言う。宣長門人橋本稲彦と思われる。また巻1に23.24丁各1枚(木版刷り)を挟む。これらは初版刊行後改正した部分の抜き刷りであろう。購求については、『宝暦二年以後購求謄写書籍』宝暦12年2月条に、「冠辞考、十、卅六匁五分」とある。同じ真淵門の建部綾足説などを丹念に書き入れ、宣長の綾足評価を窺う上でも貴重。


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