「眼鏡と入れ歯」の項で、 眼鏡を拝領しましたとか、
御前講釈の時に、掛けても良いと許されたとかいう記事を紹介したが、
宣長が本当に眼鏡を必要としていたかどうかは、 実のところ、よく分からない。
60代後半から、没する直前までの筆跡、 時に『うひ山ぶみ』〈69歳)、
『枕の山』〈71歳)、『続紀歴朝詔詞解』のいずれも草稿、
また、逝去する一月前に起筆した『鈴屋新撰名目目録』からは、
老眼をうかがわせる兆候は見られない。
本当に老眼なのと思わせるような細字で、しかも反古を使うので裏写りしている。
見えにくいのだったら、 もう少し書きようもあるだろうにと思わせる。
書簡などで、行が横に流れるのは、これは左右の視力の問題である。
老眼だったかどうかは疑わしい宣長だが、
「めがねの長哥」と題した詠草があるので紹介しておこう。
「めかねの長歌
かゝる物 有ともきかぬ いにしへの としふる〔老たる〕人は
いかにして ふみはよみけむ いかにして物は
かきけむ もじの関 霞へだつる 春帰(り)こで
老ぬれば 春ならね共 日にそへて
霞へだゝる 文守の関
老にける 身は秋ならで 霧やへだつる (このは〈葉・歯)もおちぬ〈て〉)
春ならで
かすみやたてる(このめもかすむ)
老木の このめさだかにも(はるならでかすみへだゝる)
久かたの 天にかゝれる
日影こそ ひるはてらせれ 月こそは よるはてらせれ
日にあらず 月にもあらで △月と日と ならべる如く
久かたの あめにはあらで うつせみの 此人のめに〈人のめにふたつならびて)
△玉くしげ 二つならべて うばたまの(よるひると)よるひるといはず 」
完成形を推定してみると・・・
めがねの長歌
かゝる物 有とも聞かぬ 古の としふる人は
いかにして 書は読みけむ いかにして物は 書きけむ
文字の関 霞へだつる 春帰りこで
老ぬれば 春ならね共 日にそへて 霞へだゝる 文守の関
老にける 身は秋ならで 霧やへだつる このは〈葉・歯)も落ちぬ
春ならで 霞や立てる このめ〈芽・目)もかすむ
老木のこのめさだかにも
久かたの 天にかゝれる 日影こそ 昼は照らせれ 月こそは 夜は照らせれ
日にあらず 月にもあらで 玉くしげ 二つ並べて
うばたまの 夜昼といはず 月と日と 並べる如く
久方の 天にはあらで うつせみの この人の目に 二つ並びて
昔はなかったが、便利なものが出来たなあという感慨と、
物を見るには明かりが必要だが、太陽と月の自然光を挙げて、
また眼鏡のレンズが二枚並んでいることへと連想を羽ばたかせた歌である。
たばこといい、眼鏡と言い、よく分からないことが多すぎる。
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「眼鏡と入れ歯」
(C) 本居宣長記念館
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