享保17年(1732)〜天明元年(1781)9月14日。菰野藩儒。名は維遷。字は士長。文璞など。
京都で堀元厚に医学を学ぶ。宣長とは兄弟弟子と言うことになる。景山から直接聞いたという話を『金渓雑話』で紹介しているので、景山とも係わりがあったようだ。また藩から選ばれて近江国彦根藩儒・龍草蘆にも学ぶ。
宣長と交友があり、『古事記伝』や『勢語臆断』を貸し、また、その質問にも答えている。質疑の内、「神道」について1条、また「垂加神道」について3条が『答問録』に載る。
【参考文献】
『宣長学論攷−本居宣長とその周辺−』岩田隆、桜楓社。
>>「堀元厚」
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