明治6年(1873)11月21日〜昭和38年(1958)9月7日。享年90歳。幼名、久持。号、五十鈴。信郷次男として生まれる。長男信世が高尾家を相続、代わって本居家を継ぐ。成績優秀であったが神官の父の生活は苦しく、一時は豊穎の養子にという話も出た。大阪府第二尋常中学校国語科教員となり、その後、岐阜中教諭心得、国語伝習所高等科講師、日本女学校専攻科講師、高等女学校国語読本編纂事業担任、皇典講究所神職養成部講師、文部省国語調査委員会調査事務嘱託、國學院大學講師、臨時帝室編修官等歴任し、『疑問仮名遣』(文部省内国語調査委員会・前篇大正元年・後篇2年例言)、『明治天皇紀』、『列聖全集』の編纂、執筆に携わる。また、旧宅遺品を相続した清造はその保存と整理に全力を注ぎ『本居宣長稿本全集』全2巻を刊行(最終巻3の原稿は関東大震災のため消失、未刊)で、これが村岡典嗣の『本居宣長』と共に近代の本居宣長研究の出発点となる。戦後、資料の完全保存、公開を条件に松阪市への無償寄付を申し出たが、志半ばで没し、長男・彌生がその遺志を継ぐ。家集に『本居清造詠草』がある。
(C) 本居宣長記念館
|