midashi_o.gif 中里常岳(ナカザト・ツネオカ)

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宝暦10(1760)頃〜文化10(1813)3月17日没(享年54歳位)。
中里家は、松坂本町の富商。
通称大三郎、新三郎。号橿の屋。常岳は、中町に住するか。
実兄は長谷川常雄。弟は常秋、常国、常季。「中里五兄弟」と呼ばれ、全員が、宣長に入門した。
常岳は、宣長のもとには10代前半から通っていたか、安永2(1773)年以前入門43人の一人である。

☆ 常岳は新古今風が好みか
『鈴屋文集』下に「中里常岳が問ひけることに答へたる詞」が載る。
大意は、まず常岳の言うことはもっともなことで、好きでないことをやっても仕方がないものだ。
だが貴下は優秀で、何でも器用にこなす。とりわけ歌を詠むことでは、古風も近風も巧みに詠まれる。
その中でも、私の見る所、どうも「新古今」風が好みのようだ。ここに絞ったらどうだろうか。
「新古今集」を真似ることは容易なことではないが、新古今の歌人も自分も同じ人だと思って、 志を高く持ち、怠ることなく努めたら、結構良い所までいけるものだ、と励ます。

☆ 管弦趣味
宣長が、何でも器用にこなすと評した常岳だが、特に好んだのが、笛である。

「中里常岳が笛吹くことを好みて其師の家より浪龍丸といふ古き横笛を伝はり得たるに、
その家の庭なる橿(かし)の木を思ひよせて寿たる歌、
そのやど(家)の名を橿屋(かしのや)となむいへば
 絶えせじな 吹く笛の名に 宿の名の 橿もなみたつ(並み立つ・浪龍) 音(ね・根)は長き世に」
         『鈴屋集』巻3 ※『石上稿』寛政9年条

また、本居清嶋の「松園管弦会之序」に、

「こゝに中里の常岳主、若きほど都に物して遊びの道の博士に笛ふくことを習ひていみじく好み給ふまゝに、
いと妙なる音を吹いだしつゝ、年経て深く悟り物し給ふ事を、
此五六年ばかり先に、この主(後藤松園)聞きつけて、かの主の許に行きて、その笛吹わざを教へ給ひねと請れければ、
そは若きほどの戯れに吹きすさみたるにて、如何でかしか人にきかせ奉りなどせむことはと言へるを、
兎角言い唆されをれば、彼もとより好まぬ事にしもあらざれば、うけひきて、
まづ始めに拍子うちて譜歌ふことなどせらるゝほどに、
又そをまねばむと思ふ人三四人あれば其人々と共におのれも習ひて」

とあり、松坂の後藤家(松園)で、常岳を中心に管弦の会が立ち上がり、
やがては演奏会まで行われるほど盛んになっていく様子が描かれている。




>> 長谷川常雄
>> 松園管弦会之序



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