宣長が真淵先生から誉められたことがある。
宣長の意見は、例えば『万葉集』や『古事記』には、わが国の言葉が残っている。ところが、歌は字数の制限があるので助辞(テニヲハ)を省くことがある。『古事記』も助辞まで完全に書いているわけではない。ところが、祝詞と宣命は助辞まできちんと書いている。つまり、『古事記』を読むためには省略された助辞も復元しなければならない。だから祝詞や宣命が大事になるのだ。
真淵は、このことは私もこれまで言ったことがないことと感服した。(明和6年5月9日付)。
『万葉集』が奈良時代やそれ以前の国語を伝える韻文の資料として貴重なのに対して、祝詞、寿詞(ヨゴト)、また宣命は、散文の資料として重要である。同じ散文である『古事記』の読み方を研究するための第一歩であった。
祝詞宣命研究で一番早い時期のものは、賀茂真淵への質疑応答の『続紀宣命問答』。これは、『万葉集』の2度目の質問が終わって、引き続いて開始された。明和5年6月17日付賀茂真淵差出書簡に
「続紀之宣命之事御問可有之由致承知候、是はいまだふかくも不考候へども、又一往は考置候事も有之也、祝詞に次て釈を書候はんと存候へども、無暇候て延引いたし候、若御考候而被注候はば珍重事也、とかくに古文古歌を得候はでは、上古之学は成がたく候へば、此の詔の注をいたし度事也、惣て古事記神代紀等も文にて伝りしなれば、文をよく得ざる人の説は違へり」
とある。
その後、宣長は「続紀宣命辞不審」を送った。真淵は、
「続紀の宣命の事よくぞ御心がけ問れ、一通り見候に、尤の事共も有之、答べき事も多し、しかしながら宣命集めたる本なければ、度々本書を取出くり出して見候事、甚労候故延引に及候、何とぞ其文ども書集候而御遣し候へ、左候はば早速答可申進候、何事も繁多に而労候故也」(明和6年正月27日付)
つまり1冊にまとめたテキストを作ってきたら答えてやろうと返事した。
宣長はこの書簡に応じて『続日本紀』の宣命すべてを抄出した一本として真淵に送った。
そして明和6年5月9日、最初の応答が行われた。この時の真淵の言葉が、最初に引いた絶賛の言であった。
現在、本居宣長記念館で所蔵する『宣命抄・続紀歴朝詔詞抄』は、天明8年に自分の研究目的で作成した本である。真淵に送ったのも同じようなものであったろう。
>>『大祓詞後釈』
>>『歴朝詔詞解』
>>「宣長の使った古典のテキスト」の『祝詞式』
>>『宣命抄・続紀歴朝詔詞抄』
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