感涙にむせぶ宣長、だが、同行する者は呑気なものだ。
「子守の御社にまうで、とかくするほどに日もくれぬ」(『餌袋日記』)
子守の社に詣でているうちに日が暮れた(早く旅館に行きたいなあ)。
これは稲懸茂穂、後の大平の感想だ。この時は先生が一人で感動している位に見ていたが、27年後に再び師と参詣した時、気分は一新している。
「むかし此山の花見に物したりしは明和九年にてことしまでは廿八年になむなりにけるそのをりしれるさと人も有まじけれどあやしうこと所にはかはりてむつましう覚ゆるまゝに、
朝夕に面影さらすなりぬればげにふる里の心地こそすれ
水分の御社にまうづ、さきのたび師のよまれける歌をおもひいでゝ
手向けせしその神垣の言の葉をけふ又神も思ひいづらん
神の道おなじながれをくむわれもあふがざらめや水分の山
此神の御恵によりてうまれ出給へる翁の君にしたがひてかくおのれもまたまうで来たることのいとうれしうすゞろになみださへとゞめがたくなん此翁ことし七十の齢にてかくまうでられたることをよろこびて
のぼりこし君が齢ひをよし野山猶みね高く神ぞ守らん
春毎の初花よりもまれにとふ君をぞ神もめづらしと見ん」
(『己未紀行』)
>>「大平、養子となる」
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