伊勢市猿田彦神社駐車場に宣長の歌碑がある。目測約4mの高さで、大きさとしては宣長の歌碑中最大。歌は宣長が二見定津に贈ったもの。
二見(宇治土公)定津(1783〜1822)は、宇治土公定静の子として当地に生まれ、伯父にあたる宇治土公定哉を嗣ぐ。寛政4年大内人に任ぜられた。通称は右兵衛。内宮権祢宜。文政5年閏正月3日没、享年40。その筆による御神号碑など全国に多い。貞幹前宮司から5代前にあたる。寛政8年(1796)2月宣長に入門。『授業門人姓名録』に圏点一。
宣長は、寛政11年4月4日、両宮参拝の途次二見定津を訪い、その夜一宿する。宣長の『日記』に「参宮、其夜宿宇治二見左兵衛定津宅」とある。
碑面の歌並びに筆跡は、猿田彦神社所蔵懐紙から採る。
大御神宮に詣て玉串大内人定津ぬしの家にやとりて
あるしによみてまゐらす、宣長
神世より神の御末とつたへ来て名くはし宇治の土公わかせ
この前年2月から4月、定津が松坂に来ていたことが、竹村茂雄の日記や、栗田土満「寛政十年伊勢日記」に見える(「岡の屋年譜考(二)」高倉一紀『皇學館大學神道研究所紀要』10号)。
また思文閣目録(平成3年10月)に載る荒木田経雅短冊には
「寛政十一年八月の一日の日宇治土公定津五十鈴川の歌よみて
たうへよとこひよこすに よみて送りたりける
五十鈴川しき浪のよるひるとなくすむをためしにいのる君か代 経雅」
とある。

「猿田彦神社宣長歌碑」
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