「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
この歌は、宣長の六十一歳自画自賛像に賛として書かれています。
賛の全文は、
「これは宣長六十一寛政の二とせといふ年の秋八月にてづからうつしたるおのがゝたなり、
筆のついでに、
しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
です。
歌は、画像でお前の姿形はわかったが、では心について尋ねたい、と言う質問があったことを想定しています。
宣長は答えます。
「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」
つまり一般論としての「大和心」を述べたのではなく、どこまでも宣長自身の心なのです。
だからこの歌は家集『鈴屋集』にも載せられなかったのです。
たとえ個人の歌集であっても、外の歌に埋没したり、作者から離されてしまうことをおそれたのでしょう。
独立した歌として、もとめられれば、半切にも書きました。
また画像と一緒ならなおさら結構と、
だから、たとえば吉川義信の描く画像などにはこの歌が書かれました。
この歌は宣長の心の歌だったのです。
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「「敷島の歌」その後」
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「徹底分析・本居宣長六十一歳自画自賛像」
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「愛国百人一首」
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