和歌山本居家の内遠の墳墓は、東京都品川区、東海寺大山墓地にもある。大山墓地は沢庵禅師や、また賀茂真淵などの墓があることで有名。二つの墓の関係は、江戸で急逝した内遠は、そのまま江戸に葬られ、分骨したのが吹上寺と考えられる。『本居内遠翁略伝 条里図帳考』には、「安政二年十月四日病して赤坂邸の舎に身まかりぬ、時に年六十四なりき、おくり名して弥足功績道根大人(イヤタラシイソシミチネノウシ)と云、当時深川なる恵然寺に葬りしを後に改て品川東海寺なる県居翁の墓ノ側に移し葬れり」 とある。
明治維新を迎え、和歌山本居家は東京に出、以後の墓所は谷中霊園となった。大正天皇の皇太子時代の侍講「本居豊穎之墓」と妻「本居鎮子墓」、以後の子孫を葬る「本居家之墓」で、高名な作曲家長世(豊穎孫)、詩人菱山修三(長世三女若葉夫)もここに眠る。
東海寺大山墓地内遠墓
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谷中霊園豊穎、妻鎮子墓
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谷中霊園「本居家之墓」
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谷中霊園「浜田延寿之墓」
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谷中霊園本居家墓俯瞰
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「大平一族の墓」
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