「本居宣長四十四歳自画自賛像」では朱に描かれているが実際に使用していたのは桐の白木である。
宣長の机は寛政12年(1800)正月3日に後継者・大平に譲られた。その時の歌が『鈴屋集』巻8に載る。詞書と歌を引く。
「おのれわかゝりしほど京にてつくらせてそのころより七十といひしこぞの冬まで四十余年があひだもちたりし机をことし寛政十二年正月三日大平にゆづるとてよみてそへたる
年をへて此ふつくゑによるひると
我せしがごとなれもつとめよ」
この代わりに宣長は新しい机を購入した。『諸用帳』寛政11年に
「十二月、一、机、造り、代金一分ト三匁八分、但し板代外、右ハ健亭より出す」
とある。
健亭は、机が使えなかったはずだ。宣長が使ったのだろう。
机を譲ると言うのは、芸事などで家元の代替わりで行われる。
宣長の弟子の田中大秀もその机を弟子に譲っている。
「本居宣長四十四歳自画自賛像」(机部分)
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宣長さんの机
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