【もっと知りたい】
◇ 母の手紙
月影に浮かれ歩いていた、その数日後、宣長のもとに伊勢の国から爆弾が飛んできた 盃3杯以上は禁止! 「そもじ殿事、ことの外大酒被致候様に、其御地にて伊兵へ殿へ物語御ざ候承申候、さてさておどろき入候てあんじ申候、(中略)酒のみ申され候毎に、おやへふかうとわれらが事も思い出し候て、さかづきに三つよりうへたべ申されまじく候、もし又ふかくしい候人々御ざ候はば、遠方ながら母見てゐ申、かたく申越候故、日々のせい言と存、此うへたべ申さぬよし御申、かたくかたくつつしみ申さるべく候」(宝暦6年文月19日付)
>> 「お酒」
◇ 魁星
写真をご覧下さい。ご存じ『菅笠日記』の袋です。右上に何か絵があるのお分かりですか。これは魁星といいます。7月7日は北斗七星の魁星の生まれた日とされてました。 魁星は文昌星とも言われ学問の神様です。鬼に枡(斗)で魁ですね。そこで、江戸時代には本の袋(今のカバー)にこの文昌星の判を押すことが広く行われました。 但し中国の風習ですから宣長にはあまり関係がありません。でも本屋のお守りですから、このように著作に押されることもあったのでしょう。黙認でしょうか。 「袋へ印押し候事、書林望の由、是は袋の事に御座候へば、いかやうにても不苦候」(宣長差出・植松有信宛、寛政7年12月12日付書簡) 宣長の本をたくさん刊行した名古屋の永楽屋では、深く翁の恩恵を思い、今も神棚に、翁の霊を、文将(昌)星と孔子と並べ祭って毎夜灯明をあげている。これは佐佐木信綱翁の「宣長伝補遺」に出てくる話です。
◇ 7月の宣長
延享3年(17歳)7月28日、『都考抜書』起筆。 同年7月、浜田瑞雪に弓を習い始める。 寛延元年(19歳)7月7日、『秀歌抄出』起筆。 宝暦元年(22歳)7月13日、江戸からの帰路、富士山に登る。 宝暦6年(27歳)7月26日、『日本書紀』校合する。同月『古事記』『旧事記』購求。 明和3年(37歳)7月26日、第2回『源氏物語』講釈開始。 寛政10年(69歳)7月26日、『家の昔物語』清書できる。 寛政11年(70歳)7月26日頃、入門式出来る。 残暑厳しいせいか、7月は学問関係の記事は少ないようです。でも『古事記伝』やその他著作の方はこの月も着々と進展していたことは言うまでもありません。