『玉勝間』抄
玉かつま六の巻
か ら あ ゐ 六
おのが歌に、からあゐの末つむ花、とよめりければ、ある人、すゑつむ花は、くれなゐのとこそよみたれ、からあゐのとはいかゞ、といへるに、おのれこたへけらく、萬葉集の歌に、くれなゐを、からあゐともよめり、そもそもくれなゐといふは、此物もと呉(クレ)の國より渡りまうできたるよしにて、呉(クレ)の藍(アヰ)といふを、つゞめたる名
なるを、そは韓(カラ)國よりつたへつる故に、又韓藍(カラアヰ)ともいへるなり、といへる説のごとし、但しからといふは、西の方の國々のなべての名なれば、これは呉ノ國をさしていへるにて、呉藍(クレナヰ)といふと同じことにもあるべし、さるを萬葉の十一の巻には、鷄冠草(カラアヰ)とも書るにつきて、鴨頭草(ツキクサ)也とも、鷄頭花(ケイトウゲ)也ともいふ、説どもの有てまぎらはしきやうなれども、つき草とも、鷄頭花ともいふは、みなひがことにて、紅花(クレナヰ)まること疑ひなし、さればからあゐるなはち紅花(クレナヰ)なることを、さとしがてら、ことさらにかくはよめるぞ、ついでにいはむ、同七の巻に、「秋さらば移(ウツ)しもせんとわがまきしからあゐの花をたれかつみけん、移(ウツ)すとは、おろして染るをいふ、此移ノ字を、本に影に誤れり、といへりければ、うなづきてやみぬ、其おのが歌は
からあゐの末摘花の末つひに色にや出ん忍びかねてば
寄草戀といふ題にてよめる也、古今集なる、「我戀をしのびかねてばあしひきの山たちばなの色に出ぬべし、といふ歌にぞよくにたると、又いふ人もありなんか、
67 書うつし物かく事[二八七]
ふみをうつすに、同じくだりのうち、あるはならべるくだりなどに、同じ詞のあるときは、見まがへて、そのあひだなる詞どもを、寫しもらすこと、つねによくあるわざ也、又一ひらと思ひて、二ひら重(カサ)ねてかへしては、其ノ間ダ一ひらを、みながらおとすことも有リ、これらつねに心すべきわざ也、又よく似て、見まがへやすきもじなどは、ことにまがふまじく、たしかに書クべき也、これは寫しがきのみにもあらず、おほかた物かくに、心得べき事ぞ、すべて物をかくは、事のこゝろをしめさむとてなれば、おふなおふなもじさだかにこそかゝまほしけれ、さるをひたすら、筆のいきほひを見せむとのみしたるは、いかなることとも、よみときがたきが、よにおほかる、あぢきなきわざ也、常にかきかはす、消息文(セウソコブミ)なども、もじよみがたくては、いひやるすぢ、ゆきとほらず、よむ人はたくるしみて、かしらかたぶけつゝ、かへさひよめども、つひによみえずなどしては、こゝよみがたしと、かへしとはんも、さすがになめしきやうなれば、たゞおしはかりに心得ては、事たがひもするぞかし、
68 手かく事[二八八]
よろづよりも、手はよくかゝまほしきわざ也、歌よみがくもんなどする人は、ことに手あしくては、心おとりのせらるるを、それ何かはくるしからんといふも、一わたりことわりはさることながら、なほあかず、うちあはぬこゝちぞするや、のり長いとつたなくて、つねに筆とるたびに、いとくちをしう、いふかひなくおぼゆるを、人のこふまゝにおもなくたんざく一ひらなど、かき出て見るにも、我ながらだに、いとかたはに見ぐるしう、かたくななるを、人いかに見るらんと、はづかしくむねいたくて、わかゝりしほどに、などててならひはせざりけむと、いみしうくやしくなん、
69 業平ノ朝臣の月やあらぬてふ歌のこゝろ[二八九]
「月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして、此歌、とりどりに解(トキ)たれども、いづれも其意くだくだしくして、一首(ヒトウタ)の趣とほらず、これによりて、今おのが思ひえたる趣をいはんには、まづ二つのやもじは、やはてふ意にて、月も春も、去年にかはらざるよし也、さて一首の意は、月やは昔の月にあらぬ月もむかしのまゝ也、春やは昔の春にあらざる、春もむかしのまゝの春なり、然るにたゞ我身ひとつのみは、本の昔のまゝの身ながら、むかしのやうにもあらぬことよ、といふ意をふくめたる物也、にしてといへる語のいきほひ、上ノ句に、月も春もむかしのまゝなるに、といへるとあひ照(テラ)して、おのづからふくめたる意は聞ゆる也、此人の歌、こゝろあまりて、詞たらずといへるは、かゝるをいへるなるべし、いせ物語のはしの詞に、立て見ゐて見見れど、こぞに似るべくもあらず、といへるは、此ふくめたる意を、あらはしたるもの也、去年ににぬとは、月春のにぬにはあらず、見るわがこゝちの、去年に似ぬ也、新古今集雜上に、清原ノ深養父の、「むかし見し春は昔の春ながら我身ひとつのあらずも有かな、とよめる歌は、此ノ業平ノ朝臣の歌を、註したるがごとし、これにて、よく聞えたる物をや、
70 縣居大人の傳[三〇三]
あがたゐの大人は、賀茂ノ縣主氏にて、遠祖(トホツオヤ)は、神魂(カミムスビノ)神の孫、鴨武津之身(カモタケツノミノ)命にて、八咫烏(ヤタガラス)と化(ナリ)て、神武天皇を導き奉り給ひし神なること、姓氏録に見えたるがごとし、此神の末、山城ノ國相樂ノ郡岡田ノ賀茂ノ大神を以齋(モテイツ)く、師朝といひし人、文永十一年に、遠江ノ國敷智ノ郡濱松ノ庄岡部ノ怩ネる、賀茂の新宮をいつきまつるべきよしの詔を蒙りて、彼ノ怩賜はり、すなはち彼ノ新宮の神主になさる、此事引馬草に見え、又綸旨の如くなる物あり、又乾元元年にも、詔とかうぶりて、かの岡部の地を領ぜる、これは正しき綸旨有て、家に傳はれり、かくて世々かの神主たりしを、大人の五世の祖、政定といひし、引馬原の御軍に功有て、東照神御祖ノ君より、來國行がうちたる刀と、丸龍の具足とを賜はりぬ、此事は三河記にも見えたり、さて大人は、元禄十年に、此岡部ノ怩ノ生れ給ひて、わかゝりしほどより、古ヘ學ビにふかく心をよせて、享保十八年に、京にのぼりて、稻荷の荷田ノ宿禰東麻呂ノ大人の教をうけ給ひ、寛延三年に、江戸に下り給ひて、其後田安ノ殿に仕奉り給ふ、かの殿より、葵の文の御衣を賜はり給へる時の歌、「あふへてふあやの御衣をも氏人のかづかむものと神やしりけん、明和六年十月晦の日、とし七十三にて、みまかり給ひぬ、武藏ノ國荏原ノ郡品川の、東海寺の中、少林院の山に葬、こは大人の弟子(ヲシヘコ)なる某が、しるしたるまゝに、とりてしるせり、なほ父ぬし母とじなどをも、しるすべきものなるに、もれたるは、又よくしりたらむ人にとひきゝて、しるすべくなん、
71 花のさだめ[三〇四]
花はさくら、櫻は、山櫻の、葉あかくてりて、ほそきが、まばらにまじりて、花しげく咲たるは、又たぐふべき物もなく、うき世のものとも思はれず、葉青くて、花のまばらなるは、こよなくおくれたり、大かた山ざくらといふ中にも、しなじなの有て、こまかに見れば、一木ごとに、いさゝかかはれるところ有て、またく同じきはなきやう也、又今の世に、桐がやつ八重一重などいふも、やうかはりて、いとめでたし、すべてくもれる日の空に見あげたるは、花の色あざやかならず、松も何も、あをやかにしげりたるこなたに咲るは、色はえて、ことに見ゆ、空きよくはれたる日、日影のさすかたより見たるは、にほひこよなくて、おなじ花ともおぼえぬまでなん、朝日はさら也、夕ばえも、梅は紅梅、ひらけさしたるほどぞ、いとめでたきを、さかりになるまゝに、やうやうしらけゆきて、見どころなくなるこそ、いとくちをしけれ、さくらの咲るころまでも、ちることしらで、むげににほひなく、ねべれしぼみて、のこりたるをみれば、げに有てよの中は、何事もみなかくこそと、見る春ごとに、思ひしらるかし、白きはすべて香こそあれ、見るめはしなおくれたり、大かた梅の花は、ちひさき枝を、物にさして、ちかく見たるぞ、梢ながらよりは、まされる、桃の花は、あまた咲つゞきたるを、遠く見たるはよし、ちかくては、ひなびたり、山ぶきかきつばたなでしこ萩すゝき女郎花など、とりどりにめでたし、菊も、よきほどにつくろひたるこそよけれ、あまりうるはしく、したゝかにつくりなしたるは、中々にしななく、なつかしからず、つゝじ、野山に多く咲たるは、めさむるこゝちす、かいだうといふ物、からめきて、こまやかにうるはしき花也、そもそもかくいふは、みなおのが思ふ心にこそあれ、人は又おもふこゝろことなンべければ、一(ヒト)やうにさだむべきわざにはあらず、又いまやうの、よの人のもてはやすめる花どもも、よにおほかるを、かぞへいでぬは、ことされめきたるやうなれど、歌にもよみたらず、ふるき物にも、見えたることなきは、心のなしにや、なつかしからずおぼゆかし、されどそれはた、ひとやうなるひがこゝろにやあらむ、
72 玉あられ[三四六]
宣長ちかきころ玉あられといふ書をかきて、近き世にあまねく誤りならへることどもをあげて、うひ學のともがらをさとせるを、のりなががをしへ子として、何事も宣長が言にしたがふともがらの、其後の此ごろの歌文に、此書に出せる事どもを、なほ誤ることのおほかるは、いかなるひがことぞや、此書用ひぬよそ人は、いふべきかぎりにあらざるを、それだに心さときは、うはべこそ用ひざるかほつくれ、げにとおぼゆるふしぶしは、たちまちにさとりて、ひそかに改むるたぐひもあるを、ましてのりなががアをよしとて、したがひながら、改めざるは、此ふみよみても、心にとまらず、やがてわすれたるにて、そはもとより心にしまず、なほざりに思へるから也、つねに心にしめたるすぢは、一たび聞ては、しかたちまちにわするゝ物にはあらざるを、よそ人の思はむ心も、はづかしからずや、これは玉あられのみにもあらず、何(イヅ)れの書見むも、おなじことぞかし、
73 かなづかひ[三四七]
假字づかひは、近き世明らかになりて、古ヘ學ビするかぎりの人は、心すめれば、をさをさあやまることなきを、宣長が弟子(ヲシヘコ)共の、つねに歌かきつらねて見するを見るに、誤リのみ多かるは、又いかにぞや、抑てにをはのとゝのへなどは、うひまなびの力及ばぬふしある物なれば、あやまるも、つみゆるさるゝを、かなづかひは、今は正濫抄もしは古言梯などをだに見ば、むげに物しらぬわらはべも、いとよくわきまふべきわざなるを、猶とりはづして、書キひがむるは、かへすかへすいかにぞや、これはた心とゞめず、又ひたぶるにまなびおやにすがりて、たがへらむは、直さるべしと、思ひおこたりて、おのが力いれざるからのわざにしあれば、かつはにくゝさへぞおぼゆる、しか人にのみすがりたらんには、つひにかなづかひをば、しるよなくてぞやみぬべかりける、さればいゐえゑおを、又はひふへほわゐうゑを又しちすつの濁音(ニゴリコヱ)など、いさゝかもうたがはしくおぼえむ假字は、わづらはしくとも、それしるせるむみを、かゝむたびごとにひらき見て、たしかにうかべずは、やむべきにあらず、何わざも、おのがちからをいれずては、しうることかたかンべきわざぞ、人の子の、としたくるまで、おやのてはなるゝことしらざらむは、いといといふかひなからじやは、
74 古き名どころを尋ぬる事[三四八]
ふるき神の社の、今は絶たる、又絶ざれども、さだかならずなりぬるなど、いづくにも多かるは、いとかなしきわざ也、神祇官の帳にのれるなどは、かけてもさはあるまじきわざなるを、中ごろの世のみだれに、天ノ下のよろづの事も、古ヘのおきても、皆みだれにみだれ、たえうせにたえうせにたる、萬ヅにつけて、いともいともかなしきは、亂れ世のしわざなりけり、さるを今の御世は、いにしへにもまれなるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下榮えにさかゆるまゝに、よろづに古ヘをたづねて、絶たるをおこし、おとろへたるを直し給ふ御世にしあれば、神の社どもは、殊に古ヘに立かへりて、榮ゆべき時なりけり、然あるにつけては、絶たるは、跡をだにさだかにたづねまほしく、又今も有リながら、さだかならず、疑はしきをば、よく考へ尋ねて、たしかにそれと、定めしらまほしきわざになむありける、次には神ノ社ならぬも、いにしへに名あるところどころ、歌枕なども、今はさだかならぬが多かるは、かゝるめでたき時世(トキヨ)にあたりて、尋ねおかまほしきわざ也、かくて神の社にまれ、御陵にまれ、歌まくらにまれ、何にまれ、はるかなるいにしへのを、中ごろとめうしなひたるを、今の世にして、たづね定めむことは、大かたたやすからぬわざになむ有ける、其ゆゑをいはむには、まづ此ふるき所をたづぬるわざは、たゞに古ヘの書どもを考へたるのみにては、知リがたし、いかにくはしく考へたるも、書(フミ)もて考へ定めたることは、其所にいたりて見聞けば、いたく違ふことの多き物也、よそながらは、さだかならぬ所も、其國にては、さすがに書(カキ)もつたへ、かたりも傳へて、まがひなきことも有リ、さればみづから其地(トコロ)にいたりて、見もし、そこの事よくしれる人に、とひきゝなどもせでは、事たらはず、又たゞ一たび物して、見聞キたるのみにても、猶たらはず、ゆきて見聞て、立かへりて、又ふみどもと考へ合せて、又々もゆきて、よく見聞たるうへならでは、定めがたかるべし、さて又其ところの人にあひて、とひきくにも、心得べきことくさぐさあり、いにしへの事を、あまりたしかにしりがほにかたるは、おほくは、書のかたはしを、なまなまにかむかへなどしたるものの、おのがさかしらもて、さだめいふが多ければ、そはいと頼みがたく、なかなかのものぞこなひなり、又世に名高き所などをば、外なるをも、しひておのが國おのが里のにせまほしがるならひにて、たゞいさゝかのよりどころめきたることをも、かたくとらへて、しひてこゝぞといひなして、しるしを作るたぐひなどはた、よに多きを、さる心して、まどふべからず、ふみなどは、むげに見たることなき、ひたぶるのしづのをの、おぼえゐてかたることは、しり口あはず、しどけなく、ひがことのみおほかれど、其中には、かへりておかしき事もまじるわざなれば、さるたぐひをも、心とゞめてきくべきわざ也、されぢ又、むかしなまなまの物しり人などの、尋ねきたるが、ひがさだめして、こゝはしかしかの跡ぞなど、をしへおきたるをきゝをりて、里人は、まことにさることと信じて、子うまごなどにも、かたりつたへたるたぐひもあンなれば、うべうべしくきこゆることも、なほひたぶるにはうけがたし、又みづからそのところのさまをゆき見てさだむるにも、くさぐさこゝろうべきことどもあり、おほかた所のさまかみさびて、木立しげく、物ふりなどしたるを見れば、こゝこそはと、めとまる物なれど、それはたうちつけには頼みがたし、大かたなにならぬ所にも、ふるめきたる森はやしなどは、多くおるもの也、木だちなど、二三百年をもへぬるは、いといと物ふりて見ゆるものなれば、ふるく見ゆるにつきても、たやすくは定めがたきわざなりかし、村の名、山川浦磯などの名に、心をつけて尋ぬべし、田どころなどのあざなといふ物などをも、よく尋ぬべし、寺の名に、古きがのこれるがよくあること也、しかはあれども又、すべて名によりて、誤ることもあるわざ也、又寺々の縁起といふ物、おほかた例のほうしのそらごとがちなれど、其中に、まれまれにはとるべきこともまじれるものなれば、これはたひたぶるにはすつべきにあらず、ふるきあとは、中ごろほうしどもの、國人をあざむきて、佛どころにしなしたるが、いづれの國にも多ければ、ほとけどころをも、其心してたづぬべし、ふるき寺には、ふるき書キ物など有て、古き事ののこれるおほし、むげに尋ぬべきたづきなき所も、思ひかけぬところより、たしかなるしるしの出來るやうもあれば、いたらぬくまなく、よろづに思ひめぐらして、くはしく尋ぬべし、かくて尋ねえたりと思ふところも、なほたしかには定(サダ)むべからず、よにさるべき人の定めおきつる所などは、ひがさだめなるも、つひにそこにさだまりて、後のまどひとなるわざ也かし、そもそも此くだりは、名所(ナドコロ)をたづぬるわざのみにもあらず、よろづのかむかへにもわたることどもありぬべくなむ、
75 天の下の政神事をさきとせられし事[三五三]
職員令に、神祇官を、もろもろの官のはじめに、まづあげて、それが次に、太政官を擧られたり、延喜式も、同くはじめに神祇式、次に太政官式也、後の世ながら、北畠ノ准后の職原抄も、令にならひて、ついでられたり、そもそもよろづの事、さばかり唐の國ぶりをならひ給へりし御世にしも、かく有しは、さすがに神の御國のしるしにて、いともいともたふとく、めでたきわざになむ有ける、世ノ中は何につけても、此こゝろばへこそあらまほしへれ、
たまかつま七の巻
ふ ぢ な み 七
あるところにて、藤の花のいとおもしろく咲りけるを見て、あかずおぼえければ、かへらん人にといふ歌を思ひ出て、
藤の花わが玉のをも松が枝にまつはれたみむ千世の春迄
とよみたるを、そのまたの日、此巻をかくとて、例のなづけつ、
76 神社の祭る神をしらまほしくする事[三五五]
古き神社どもにはいかなる神を祭れるにか、しられぬぞおほかる、神名帳にも、すべてまつれる神の御名は、しるされずたゞ其社號(ヤシロノナ)のみを擧られたり、出雲風土記の、神社をしるせるやうも、同じことなり、社號すなはち其神の御名なれば、さも有べきことにて、古ヘはさしも祭る神をば、しひてはしらでも有けむ、然るを後の世には、かならず祭る神をしらでは、あるまじきことのごと心得て、しられぬをも、しひてしらむとするから、よろづにもとめて、或は社號につきて、神代のふみに、いさゝかも似よれる神ノ名あれば、おしあてに其神と地(クニ)にも、其數かぎりなくおはしますことなれば、天の下の社々には、其中のいづれの神を祭れるも、しるべからぬぞおほかるべき、神代紀などに出たる神は、その千萬の中の一つにもたらざンめるを、必ズ其中にて、其神と定めむとするは、八百萬の神の御名は、神代紀に、ことごとく出たりと思ふひや、古書に御名の出ざる神の多かることを、思ひわきまへざるは、いかにぞや、さればもとより某(ソノ)神といふ、古きつたへのなきを、しひて後に考へて、あらぬ神に定めむは、中々のひがこと也、もしその社ノ號によりて定めむとせば、たとへば伊勢の大神宮は、五十鈴ノ宮と申せば、祭る神は五十鈴姫ノ命にて、鈴の神、外宮は、わたらひの宮と申せば、綿津見(ワタツミノ)命にて、海神也とせんか、近き世に、物しり人の考へて定むるは、大かたこれに似たるものにて、いとうきたることのみなれば、すべて信(ウケ)がたし、しられぬをしへてもとめて、あらぬ神となさむよりは、たゞその社ノ號を、神の御名としてあらんこそ、古ヘの意なるべきを、社ノ號のみにては、とらへどころなきがごと思ふは、近き世の俗心(ツタナキココロ)にこそあれ、今の世とても、よに廣くいひならへる社號は、そをやがて神の御名と心得居て、八幡宮春日明神稲荷明神などいへば、かならずしもその神は、いかなる神ぞとまでは、たづねず、たゞ八幡春日いなりにてあるにあらずや、もろもろのやしろも、皆同じことにて、社ノ號すなはち其神の御名なるものをや、
77 おのが仕奉る神を尊き神になさまほしくする事[三五六]
中昔よりして、神主祝部のともがら、己が仕奉る社の神を、あるが中にも尊き神にせまほしく思ひては、古き傳へのある御名をば、隠(カク)して、あるは國常立ノ尊をまつれり、天照大神を祭れり、神武天皇をまつれりなどいひて、例の神祕のむねありげに、似つかはしく作りなして偽るたぐひ、世に多し、おのれ尊き神につかふる者にならむとて、その仕奉る神を、わたくしに心にまかせて、いつはり奉るは、いともかしこき、みだりごとならずや、
78 皇孫天孫と申す[三五七]
邇々藝ノ命より始め奉りて、御代々々の天皇を、皇(スメミマノ)命とも、天神御子(アマツカミノミコ)とも申すを、書紀の神代ノ巻に、皇孫又天孫と書れたるは、ともに古言にあらず、皇孫とは、皇御孫ノ命と申す御號(ミナ)を、例の漢文ざまに、つくられたる也、他(ホカ)の古書どもにはみな、皇御孫ノ命と見えて、續紀の歌に、皇(スメ)をはぶきて、御孫(ミマノ)命とはよみたることあれども、命(ミコト)をはぶきて申せることは見えず、まして天孫と申せることは、古き文には、すべて見えず、天孫とは、天神御子(アマツカミノミコ)と申すを、つくりかへられたる文字と見えたり、然るを世の人、ひたぶるに漢文ざまのうるはしき方を好むならひとなりては、此皇孫天孫と申す御號(ミナ)のみひろまりて、かへりて皇御孫ノ命天ツ神ノ御子と申す、いにしへのまことのうるはしき御號はかくれたるが如し、皇孫はすめみま、天孫はあめみまと訓たれども、文字になづまで、皇孫をば、すめみまのみこととよみ奉るべく、天孫をば、あまつかみのみことよみ奉りて古ヘのまことの御號(ミナ)を、ひろくせまほしきわざ也、あめみまといふは、殊につたなく、よしなき訓なるをや、
79 神わざのおとろへのなげかはしき事[三六九]
よろづよりも、世ノ中に願はしきは、いかでもろもろの神ノ社のおとろへを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ、今の世の神ノ社神事のさまは、おほかた中ごろのみだれ世に、いたくおとろへすたれたるまゝなるを、今の世の人は、たゞ今のさまをのみ見て、いにしへよりかゝるものとぞ思ひたンめる、まれまれ書をよむ人なども、たゞからぶみをのみむねとはよみて、其心もて、よろづをさだして、皇國のふるきふみどもをば、をさをさよむ人もなければ、古の御世には、神社神事を、むねと重くし給ひしことをばしらず、又まれにはしれる人もあれども、なほ今の世のならひにまぎれては、いにしへを思ひくらべて、これを深く歎く人のなきこそ、いと悲しけれ、
80 よの人の神社は物さびたるをたふとしとする事[三七〇]
今の世の人、神の御社は、さびしく物さびたるを、たふとしとおもふは、いにしへ神社の盛(サカリ)なりし世のさまをば、しらずして、たゞ今のよに、大かたふるく尊き神社どもは、いみしく衰へて、あれたるを見なれて、ふるく尊き神社は、もとよりかくある物と、心得たるからのひがことなり、
81 唐の國人あだし國あることをしらざりし事[三七二]
もろこしの國のいにしへの人、すべて他國(アダシクニ)あることをしらず、おほかた國を治め、身ををさむる道よりはじめて、萬の事、みな其國のいにしへの聖人といひし物の、はじめたるごとく心得て、天地の間に、國はたゞわれひとり尊(タフト)しと、よろづにほこりならひたり、然るをやゝ後に、天竺といふ國より、佛法といふ物わたり來ては、いさゝかあだし國のあることをも、しれるさま也、かくて近き世にいたりては、かの天竺よりも、はるかに西のかたなる國々の事も、やうやうしられて、おほかた今は、天地の間の、萬の國の事、をさをさしられざるはなきを、そのはるかの西の國々にも、もろこしにあるかぎりの事は、皆むかしより有て、もろこしにはなき物も多くあり、もろこしよりはるかにまされる事も有リ、その國々は、みな近き世まで、もろこしと通ひはなかりしかども、本よりしか何事も、たらひてあるぞかし、そもそももろこしの古ヘは、たゞその近きほとりなる、胡國などいふ國の事のみを、わづかによくはしりて、其外は、さしも遠からぬ國々の事も、こまかにはしらず、おぼおぼしくて、すべて他國の事いへるは、みだりごとのみ也、かくてそのよくしれる胡國などは、いたづらに廣きのみにして、いといやしくわろき國なるを、つねに見しり聞しりては、他國はいづれも皆、かゝる物とのみ思へりしから、何事もたゞたふときは吾ひとりと、みだりにほこれる也、いにしへあだし國の事を、ひろくしらざりしほどこそ、さもあらめ、近き世になりて、遠き國々の事も、まなよくしられても、猶古ヘよりのくせを、あらたむることなく、今に同じさまに、ほこりをるなるを、皇國にても、學問をもする人は、今は萬ヅの國國のことをも、大かた知リたるべきに、なほむかしよりの癖(クセ)にて、もろこし人のみだりごとを信じて、ひたぶるにかの國を尊みて、何事もみな、かの國より始まれるやうに思ひ、かの國より外に、國はなきごと心得居るは、いかなるまどひぞや、
82 おらんだといふ國のまなび[三七三]
ちかきとしごろ、於蘭陀といふ國の學問をする事、はじまりて、江戸などに、そのともがら、かれこれとあめり、ある人、もはらそのまなびをするが、いひけるおもむきをきくに、於蘭陀は、其國人、物かへに、遠き國々を、あまねくわたりありく國なれば、其國の學問をすれば、遠き國々のやうを、よくしる故に、漢學者の、かの國にのみなづめるくせの、あしきことのしらるゝ也、あめつちのあひだ、いづれの國も、おのおの其國なれば、必ズ一トむきにかたよりなづむべきにあらず、とやうにおもむけいふめり、そはかのもろこしにのみなづめるよりは、まさりて一わたりさることとは聞ゆれども、なほ皇國の、萬の國にすぐれて、尊きことをば、しらざるにや、萬の國の事をしらば、皇國のすぐれたるほどは、おのづからしるらむものを、なほ皇國を尊むことをしらざるは、かのなづめるをわろしとするから、たゞなづまぬをよしとして、又それになづめるにこそあらめ、おらんだのにはあらぬ、よのつねの學者にも、今は此たぐひも有也、
83 もろこしになきこと[三七四]
もろこしのまなびする人、かの國になき事の、御國にあるをば、文盲(モンマウ)なる事と、おとしむるを、もろこしにもあることとだにいへば、さてゆるすは、いかにぞや、もろこしには、すべて文盲なる事は、なき物とやこゝろえたるらむ、かの國の學びするともがらは、よろづにかしこげに、物はいへども、かゝるおろかなることも有けり、
84 ある人の言[三九三]
櫻の花ざかりに、歌よむ友だち、これかれかいつらねて、そこかしこと、見ありきける、かへるさに、見し花どもの事、かたりつゝ來(ク)るに、ひとりがいふやう、まろは、歌よまむと、思ひめぐらしける程に、けふの花は、いかに有けむ、こまやかにも見ずなりぬといへるは、をこがましきやうなれど、まことはたれもさもあることと、をかしくぞ聞し、
85 土佐國に火葬なし[三九五]
土佐國には、火葬といふわざなし、さる故に、かの國人は、他國の、火葬にすることをかたれば、あやしきわざに思へりとぞ、これもかの國人のかたりけるに、そは近き世のさだめかととひしに、いにしへより然りとぞいへる、
86 はまなのはし[四〇一]
さらしなの日記にいはく、濱名の橋、くだりし時は、黒木をわたしたりし、此度はあとだに見えねば、舟にて渡る、入江に渡せし橋也、との海は、いといみしく浪高くて、入江のいたづらなる洲どもに、こと物もなく、松原のしげれる名かより、浪のよせかへるも、いろいろの玉やうに見え、まことに松の末より、浪はこゆるやうにみえて、いみしくおもしろし、それよりかみは、ゐのはなといふ坂の、えもいはぬわびしきを、のぼりぬれば、三河ノ國の高師の濱といふ、
87 おのれとり分て人につたふべきふしなき事[四〇九]
おのれは、道の事も歌の事も、あがたゐのうしのアのおもむきによりて、たゞ古の書共を、かむかへさとれるのみこそあれ、其家の傳へごととては、うけつたへたることさらになければ、家々のひめことなどいふかぎりは、いかなる物にか、一ツだにしれることなし、されば又、人にとりわきて殊に傳ふべきふしもなし、すべてよき事は、いかにもいかにも、世にひろくせまほしく思へば、いにしへの書共を考へて、さたりえたりと思ふかぎりは、みな書にかきあらはして、露ものこしこめたることはなきぞかし、おのづからも、おのれにしたがひて、物まなばむと思はむ人あらば、たゞあらはせるふみどもを、よく見てありぬべし、そをはなちて外には、さらにをしふべきふしはなきぞとよ、
88 もろこしの老子の説まことの道に似たる所ある事[四一〇]
おのれ今まことの道のおもむきを見明らめて、ときあらはせるを、漢學(カラマナビ)のともがら、かの國の老子といふものの説(トキゴト)によれり、と思ひいふ人、これかれあり、そもそもおのが道をとく趣は、いさゝかも私のさかしらをばまじへず、神典(カミノミフミ)に見えたるまゝなること、あだし注釋どもと、くらべ見て知べし、かくてそ
の趣の、たまたまかの老子といふものの言と、にたるところどころのあるを見て、ゆくりなく、それによりていへりとは、例のかのもろこしの國をおきて外に國はなく、かの國ならでは、何事も始まらぬことと、ひたおもむきにおもひとれる、ひが心より、さは思ふなンめり、いにしへより、漢ノ國と通へることなく、たがひに聞キも及ばざりし國々にも、ほどほどにつけつゝ、有べきかぎりの事は、おのおの本よりありける中にも、殊に皇國は、萬ヅの國の本、よろづの國の宗(オヤ)とある御國なれば、萬ノ國々わたりて、正しきまことの道は、たゞ皇國にこそ傳はりたれ、他國(アダシクニ)には、傳はれることなければ、此道をしることあたはず、然るにもろこしの國に、かの老子といひしは、すぐれてかしこく、たどりふかき人にこそ有けめ、世のこちたくさかしだちたるアヘは、うはべこそよろしきにたれ、まことには、いとよろしからず、中々の物害(モノソコナ)ひとなることをさとりて、まことの道はかくこそあるべきものなれと、はしばしみづから考ヘ出たることの中に、かむかへあてて、たまたま此まことの道に似たるふし、合へることもあるなりけり、さるはまことの道は、もとより人のさかしらをくはへたることなく、皇神(スメカミ)の定めおき給へるまゝなる道にしあれば、そのおもむきをとかむには、かれが、さかしらをにくめる説は、おのづから似たるところ、あへるところ有べきことわり也、しかはあれども、かれがいへるは、たゞおのが智慮(サトリ)もて、考へ出たるかぎりにこそあれ、皇國に生れて、正しく此道を聞るにあらざれば、その主(ムネ)とある本のこゝろは、しることあたはず、いたくたがひて、さらに似もつかぬことなるを、かの漢學のともがら、しかたがへるところをがしらで、たまたまかたはし似たることのあるをとらへてそれによれりとしもいひなすは、いとをこ也かし、大かたよろづの事、おのづからこれにもかれにも、かよひてにたることは、かならずまじる物にて、此道も、儒のおもむきかよけるところもまじり、佛の道とも似たることはまじれゝが、おのづからかの老子とも、かたはし似たるところ過へるところは、などかまじらではあらむ、
89 道をとくことはあだし道々の意にも世の人のとりとらざるにもかゝはるまじき事[四一一]
道をとかむに、儒にまれ老にまれ佛にまれ、まれまれに心ばへのかよへるところのあるをとらへて、おのが心のひくかたにまかせて、かよはぬところをも、すべてそのすぢに引よせてときなし、あるは又他(アダシ)道と同じからんことを、いとひさけて、ことさらにけぢめを見せ、さまをかへて説(トカ)むとする、これらみないとあぢきなくしひたるわざ也、似ざらむもにたらむも、異(コト)ならむも同じからむも、とにかくに異道(アダシミチ)の意には、いさゝかもかゝはるべきわざにあらず、又かくときたらむには、世にうけひかじ、かくいひてこそ、人は信ぜめなど、世の人の心をとりて、いさゝかもときまげむことは、又いとあるまじく、心ぎたなきわざ也、すべて世ノ人のほめそしりをも、思ふべきにはあらず、たとひあだし道々とは、うらうへのたがひあり、世にも絶えて信ずる人なからむにても、ただ神の御ふみのおもむきのまゝにこそはとくべきわざなりけれ、
90 香をきくといふは俗言なる事[四一二]
香(カウ)を聞クといふは、もとからことにて、古ヘの詞にあらず、すべて物の香(カ)は、薫物(タキモノ)などをも、かぐといふぞ雅言(ミヤビコト)にて、古今集の歌などにも、花たちばなの香をかげばと見え、源氏物語の梅枝ノ巻に、たき物共のおとりまさりを、兵部卿ノ宮の論(サダ)め給ふところにも、人々の心々に合せ給へる、深さ淺さを、かぎあはせ給へるに、などこそ見えたれ、聞(キク)といへる事は、昔の書に見えたることなし、今の世の人は、そをばしらで、香(カウ)などをかぐといはむは、いやしき詞のごと心得ためるは中々のひがこと也、きくといふぞ、俗言(サトビコト)には有ける、
91 もろこしに名高き物しり人の佛法を信じたりし事[四一三]
佛の道は、もろこしの國にて、よゝに名高き儒者などの中にも、信じ尊みたるが、あまた聞とゆるによりては、まことにすてがたき物にこそ、と思ふ人あンめれど、かのもろこしにて、しか名高き物しり人どもの、佛をしんじ尊みたるやうなくは、まことの心に信じたふとみたるは、いとすくなくて、おほくはたゞもてあそびたるにこそあれ、さるはかの道の説(トケ)るやう、あやしく廣く大きにして、此世のほかを、とほく深く、さとり明らめたるさま、すべて心のおきてなど、めづらかにおかしきものなるが故に、詩作る人などは、さらにもいはず、さらぬも、これをもてあそびて、風流(ミヤビ)のたすけにぞしたンめる、又その諸宗に、高僧と聞ゆるほうしどもの中にも、實に尊み信じて、おこなひたるにあらで、世の中の人にたふとまれ、いさぎよくいみしき名をとゞめて、後の世まであふがれむために、その道のふみを深く學び、もろもろの欲をも忍び、たへがたき行ひをもして、まことしげにふるまひたるぞ、多く見えたンめる、そもそも利のため名のためには、命をさへに、をしまぬたぶひもあるわざなれば、何かは、それはたあやしむべきことにもあらずかし、
92 世の人佛の道に心のよりやすき事[四一四]
ほとけの道には、さばかりさかしだちたる、今の世の人の心も、うつりやすきは、かならず其道よろしと、思ひとれるにしもあらねど、むかしよりあまねくさかりにて、おしなべて世ノ中の人の、皆おこなふわざなるに、かたへはもよほさるゝぞ多かりける、すべてなにわざも、世にあまねく、人のみなする事には、たれもすゞろに心のよりやすきならひぞかし、
93 ゐなかにいにしへの雅言(ミヤビゴト)ののこれる事[四一五]
すべてゐなかには、いにしへの言ののこれること多し、殊にとほき國人のいふ言の中には、おもしろきことどもぞまじれる、おのれとしごろ心をつけて、遠き國人の、とぶらひきたるには、必ズその国の詞をとひきゝもし、その人のいふ言をも、心とゞめてきゝもするを、なほ國々の詞共を、あまねく聞あつめなば、いかにおもしろきことおほからん、ちかきころ、肥後ノ國人のきたるが、いふことをきけば、世に見える聞えるなどいふたぐひを、見ゆる聞ゆるなどぞいふなる、こは今の世にはたえて聞えぬ、雅(ミヤ)びたることばづかひなるを、其國にては、なべてかくいふにやととひければ、ひたぶるの賤(シヅ)山がつは皆、見ゆるきこゆるさゆるたゆる、などやうにいふを、すこしことばをもつくろふほどの者は、多くは見える聞えるとやうにいふ也、とぞ語りける、そは中々今のよの俗(イヤシ)きいひざまなるを、なべて國々の人のいふから、そをよきことと心得たるなンめり、いづれの國にても、しづ山がつのいふ言は、よこなまりながらも、おほくむかしの言をいひつたへたるを、人しげくにぎはゝしき里などは、他(コト)國人も入まじり、都の人なども、ことにふれてきかよひなどするほどに、おのづからこゝかしこの詞をきゝならひては、おのれもことえりして、なまさかしき今やうにうつりやすくて、昔ざまにとほく、中々にいやしくなんなりもてゆくめる、まことや同じひごの國の、又の人のいへる、かの國にて、ひきがへるといふ物を、たんがくといふなるは、古ヘのたにぐゝの訛(ヨコナマ)りなるべくおぼゆ、とかたりしは、もことに然なるべし、此たぐひのこと、國々になほ聞ることおほかるを、いまはふと思ひ出たることをいふ也、なほおもひいでむまゝに、又もいふべし、
玉かつま八の巻
萩 の 下 葉 八
人はこず萩の下葉もかつちりて嵐は寒し秋の山ざと、はもじを重ねたる、いにしへのうたどもを見て、ふとおかしきふしにおぼえたるまゝにわれもいかでとよみ出たる也、きこえてやあらむ、聞えずやあらむ、われは聞えたりと思ふとも、人の見たらんには、いかゞあらん、きこえずやあらむ、しらずかし、
94 ゐなかに古ヘのわざののこれる事[四一九]
詞のみにもあらず、よろづのしわざにも、かたゐなかには、いにしへざまの、みやびたることの、のこれるたぐひ多し、さるを例のなまさかしき心ある者の、立まじりては、かへりてをこがましくおぼえて、あらたむるから、いづこにも、やうやうにふるき事のうせゆくは、いとくちをしきわざ也、葬禮婚禮(ハフリワザトツギワザ)など、ことに田舎(ヰナカ)には、ふるくおもしろきことおほし、すべてかゝるたぐひの事共をも、國々のやうを、海づら山がくれの里々まで、あまねく尋ね、聞あつめて、物にもしるしおかまほしきわざなり、葬祭(ハフリマツリ)などのわざ、後ノ世の物しり人の、考え定めたるは、中々にからごゝろのさかしらのみ、多くまじりて、ふさはしからず、うるさしかし、
95 ふるき物またそのかたをいつはり作る事[四二二]
ちかきころは、いにしへをしのぶともがら、よにおほくして、何物にまれ、こだいの物といへば、もてはやしめづるから、国々より、あるはふるきやしろ、ふるき寺などに、つたはりきたる物、あるは土の中よりほりいでなど、八百年(ヤホトセ)千とせに、久しくうづもれたりし物共も、つぎつぎにあらはれ出来る類ヒおほし、さてしかふるくめづらしきものの出来れば、その物はさらにもいはず、圖(カタ)をさへにうつして、つぎつぎとほきさかひまでも、寫しつたへて、もえあそぶを、又世には、あやしく偽リする、をこのものの有て、これはその國のその社に、をさまれる物ぞ、その國のなにがしの山より、ほり出たる、なにのかたぞなど、古き物をも圖(カタ)をも、つきつぎしくおのれ造りいでて、人をまどはすたぐひも、又多きは、いといとあぢきなく、心うきわざ也、さいつころ、いにしへかひの國の酒折宮(サカオリノミヤ)にして、倭建ノ命の御歌の末をつぎたりし、火ともしの翁のかた、火揚ノ命ノ像としるしたる物を、かの酒折ノ社の、屋根の板のはざまより、近き年出たる也とて、うつしたる人の見せたる、げに上ツ代の人のしわざと見えて其さまいみしくふるめきたりければ、めづらかにおぼえて、おのれうつしおきたりしを、なほいかにぞや、うたがはしくはたおぼえしかば、かの國に、その社ちかき里に、弟子(オシヘコ)のあるが許へ、しかしかのものえたるは、いかなるにかと、とひにやりたりしもしるく、はやくいつはりにて、すなはちかのやしろの神主飯田氏にもとひしに、さらにかたもなき事也と、いひおこせたりき、又同じころ、檜垣嫗(ヒカキノオウナ)が、みづからきざみたる、ちひさき木の像(カタ)の、肥後ノ國の、わすれたり、何とかいふところより、ちかく掘出たる、うつしとて、こゝかしこに寫しつたへて、ひろまりたる、これはた、出たる本を尋ぬるに、たしかなるやうにはきこゆれど、なほ心得ぬこと有て、うたがはしくなむ、すべてかうやうのたぐひ、今はゆくりかにはうけがたきわざ也、心すべし、
96 言の然いふ本の意をしらまほしくする事[四二三]
物まなびするともがら、古言の、しかいふもとの意を、しらまほしくして、人にもまづとふこと、常也、然いふ本のこころとは、たとへば天(アメ)といふは、いかなる意ぞ、地(ツチ)といふは、いかなる意ぞ、といふたぐひ也、これも學びの一ツにて、さもあるべきことにはあれども、さしあたりて、むねとすべきわざにはあらず、大かたいにしへの言は、然いふ本の意をしらむよりは、古人の用ひたる意を、よく明らめしるべきなり、用ひたる意をだに、よくあきらめなば、然いふ本の意は、しらでもあるべき也、そもそも萬ヅの事、まづその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論なけれど、然のみにもあらぬわざにて、事のさまによりては、末よりまづ物して、後に本へはさかのぼるべきもあるぞかし、大かた言の本の意は、しりがたきわざにて、われ考へえたりと思ふも、あたれりやあらずや、さだめがたく、多くはあたりがたきわざ也、されば言のはのがくもんは、その本の意をしることおば、のどめおきて、かへすがへすも、いにしへひとのつかひたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざなり、たとひ其もとの意は、よく明らめてたらむにても、いかなるところにつかひたりといふことをしらでは、何のかひもなく、おのが歌文に用ふるにも、ひがことの有也、今の世古學をするともがらなど殊に、すこしとほき言といへば、まづ然いふ本の意をしらむとのみして、用ひたる意をば、考へむともせざる故に、おのがつかふに、いみしきひがことのみ多きぞかし、すべて言は、しかいふ本の意と、用ひたる意とは、多くはひとしからぬもの也、たとへばなかなかにといふ言はもと、こなたへもかなたへもつかず、中間(ナカラ)なる意の言なれども、用ひたるいはたゞ、なまじひにといふ意、又うつりては、かへりてといふ意にも用ひたり、然たるを言の本によりて、うちまかせて、中間(ナカラ)なる意に用ひては、たがふ也、又こゝろぐるしといふ言は、今の俗言(ヨノコト)に、気毒(キノドク)なるといふ意に用ひたるを、げんのまゝに、心の苦(クルシ)きことに用ひては、たがへり、さればこれらにて、萬の言をも、なずらへ心得て、まずいにしへに用ひたるやうを、さきとして、明らめしるべし、言の本にのみよりては、中々にいにしへにたがふことおほかるべしかし、
97 今の人の歌文ひがことおほき事[四二五]
ちかきよの人のは、うたも文も、大かたはよろしと見ゆるにも、なほひがことのおほきぞかし、されどそのたがへるふしを、見しれる人はたよになければ、たゞかひなでに、こゝかしこえんなることばをつかひ、よしめきて、よみえなしかきちらしたるをば、まことによしと見て、人のもてはやし、ほめたつれば、心をやりて、したりがほすめる、いとかたはらいたく、をこがましくさへぞおもはるゝ、さるにつけては、かくいふおのが物することも、なほいかにひがことあらむと、物よくみしれらむ人のこゝろぞ、はづかしかりける、人のひがことの、よく見えわかるゝにつけては、我はよくわきまへたれば、ひがことはせずと、思ひほこれど、いにしへのことのこゝろをさとりしるすぢは、かぎりなきわざにしあれば、此外あらじとは、いとなんさだめがたきわざまりける、
98 歌もふみもよくとゝのふはかたき事[四二六]
ちかきよの人の歌ども文どもを、見あつむるに、一ふしおかしとめとまることは、ほどほどにあまたあンめれど、それはたいかにぞやおぼゆるところはまじりて、大かたきずなくとゝののひたるは、をさをさ見えず、これを思へば、後の世にして、いにしへをまねぶことは、いといとかたきわざになむ有ける、いにしへのかしこき人々のだに、これはしも、露のきずなしとおぼゆるは、多かる中にも、すくなくなんあれば、まして今の人のは、いさゝかなるきずをさへに、いひたてむは、あながちなるにやあらむ、されど同じくは、ひとのいさゝかもなんずべきふしまぜぬさまにこそはあらまほしけれ、よきほどにて、心をやるをば、もろこしのいにしへのひとも、よからぬことにいひおきけるをや、
99 こうさく くわいどく 聞書[四二七]
いづれの道のまなびにも、講釋とて、古き書のこゝろをとききかするを、きくことつね也、中昔には、これを談義となんいひけるを、今はだんぎとは、法師のおろかなるもの共あつめて、佛の道をいひきかするをのみいひて、こうさくといふは、さまことなり、さて此こうさくといふわざは、師のいふことのみたのみて、己が心もて、考ふることなければ、物まなびのために、やくなしとて、今やうの儒者(ズサ)などは、よろしからぬわざとして、會讀といふことをぞすなる、そはこうさくとはやうかはりて、おのおのみづからかむかへて、思ひえたるさまをも、いひこゝろみ、心得がたきふしは聞えたれど、それさしもえあらず、よの中に此わざするを見るに、大かたはじめのほどこそ、こゝかしこかへさひ、あげつらひなどさるべきさまに見ゆれ、度かさなれば、おのづからおこたりつゝ、一ひらにても、多くよみもてゆかむとするほどに、いかにぞやおぼゆるふしぶしをも、おほくなほざりに過すならひにて、おほかたひとりゐてよむにも、かはることなければ、殊に集ひたるかひもなき中に、うひまなびのともがらなどは、いさゝかもみづから考へうるちからはなきに、これもかれも聞えぬことがちなるを、ことごとにとひ出むことつゝましくて、聞えぬながらに、さてすぐしやるめれば、さるともがらなどのためには、猶講釋ぞまさりては有ける、されどこうさくも、たゞ師のいふことをのみ頼みて、己レちからいれむとも思はず、聞クことをのみむねとせむは、いふかひなくくちおしきわざ也、まず下見(シタミ)といふことをよくして、はじめより、力のかぎりは、みづからとかく思ひめぐらし、きこえがたきところどころは、殊に心をいれて、かへさひよみおけば、きく時に、心のとまる故に、さとることも、こよなくして、わすれぬもの也、さて聞て、家にかへりたらむにも、やがてかへり見といふことをして、きゝたりしおもむきを、思ひ出て味ふべし、また聞書といひて、きくきくその趣をかきしるすわざ有リ、そは中にわすれもしぬべきふしなどを、をりをりはいさゝかづゝしるしおかむは、さも有べきわざなるを、はじめより師のいふまゝに、一言ももらさじと、筆はなたず、ことごとにかきつゞくるかし、そもそもこうさくは、よく心をしずめて、ことのこゝろを、こまやかにきゝうべきわざなるに、此きゝがきすとては、きくかたよりも、おくれじとかく方に、心はいそがれて、あわたゝしきに、殊によくきくべきふしも、かいまぎれて、きゝもらい、あるはあらぬすぢに、きゝひがめもするぞかし、然るにこれをしも、いみしきわざに思ひて、いかでわれこまかにしるしとらむと、たゞこれのみ心をいれて、つとむるほどに、もはら聞書のためのこうさくになるたぐひもおほかるは、いといとあぢきなきならひになん有ける、
100 枕詞[四三二]
天又月日などいはむとて、まづひさかたのといひ、山といはむとて、まづあしひきの、といふたぐひの詞を、よに枕詞といふ、此名、ふるくは聞も及ばず、中昔の末よりいふことなめり、是を枕としもいふは、かしらにおく故と、たれも思ふめれど、さにはあらず、枕はかしらにおくものにはあらず、かしらをさゝゆるものにこそあれ、さるはかしらのみにもあらず、すべて物のうきて、間(アヒダ)のあきたる所を、ささゆる物を、何にもまくらとはいへば、名所を歌枕といふも、一句言葉のたらで、明(アキ)たるところにおくよしの名と聞ゆれば、枕詞といふも、そのでうにてぞ、いひそめけんかし、梅の花それとも見えずひさかたの云々、しのぶれど戀しき時はあしひきの云々などのごとし、そもそもこれらは、一つのさまにこそあれ、なべて然るには荒ザルを、後の世人の心にて、さる一かたにつきてぞ、名づけたりけむ、なべてはかしらにおく詞なれば、吾師の、冠詞(カウブリコトバ)といはれたるぞ、ことわりかなひては有ける、しかはあれども、今はあまねく、いひならひたれば、ことわりはいかにまれ、さてもありぬべくこそ、
101 もろこしの國に丙吉といひし人の事[四四一]
わらはべの蒙求といふからぶみよむをきけば、かの國の漢といひし代に、丙吉といふ大臣有けり、春のころ、物へゆく道に、牛の人にひかれてくるが、舌を出して、いみしく苦しげに、あへぐを見て、いま夏にもあらざるに、此うしいたく暑ければこそ、かくは喘(アヘ)ぐなれ、すべて寒さぬるさの、時にかなはぬは、わがうれふべきこと也、といひければ、みな人げにとかしこまりて、よにいみしきことに思ひあへりとぞ、今おもふに、こはいとをこがましきこと也、暑きころならずとて、ことによりては、などかしかあへぐこともなからん、又さばかり陰陽のとゝのひを、心にかけたらむには、つねにみづからこゝろむべきわざなるに、たまたま道かひに、此牛のさまを見て、ゆくりなくさとりたるは、いかにぞや、もし此うしのあへぐを見ずは、しらでやむべきにや、さればこは、まことにさ思ひていへるにはあらで、人にいみしきことに思はせむとての、つくりことにこそ有けれ、もしまことにしか心得たらんには、いふかひなきしれものなるを、よにいみしきことにしるしつたへたるも、いとをこなり、又もとより陰陽をとゝのふなどいふこと、あるべくもあらず、すべて世の中の事は、時々の天地のあるやうも何も、みな神の御しわざにて、時の氣(ケ)のかなひかなはぬなど、さらに人のしるべきわざにはあらぬを、かくことごとしげにいひなすは、すべてかの國人のならひにて、いといとこちたく、うるさきわざ也かし、
102 周公旦がくひたる飯を吐出して賢人に逢たりといへる事[四四二]
又きけば、周公旦といひける聖人の、子をいましめたる詞に、我一タビ沐スルニ三タビ髪ヲ握リ、一タビ飯(クフ)ニ三タビ哺ヲ吐テ、起テ以テ士ヲ待テ、猶天下ノ之賢人ヲ失ハムコトヲ恐ルといへり、もしまことに然したりけむには、これもよの人にいみしきことに思はせむための、はかりこと也、いかに賢人を思へばとて、口に入たらむ飯を、呑(ノミ)いるゝまを、またぬやうやは有べき、出迎へむ道のほどにても、のみいれむことは、いとやすかるべきを、ことさらに吐出して、人に見せたるは、何事ぞや、すべてかの國には、かくさまに、甚しくけやけきふるまひをしたるたぐひの、何事につけても多きは、みな名をむさぼりたる物にして、例のいとうるさきならひ也、
103 藤谷ノ成章といひし人の事[四四三]
ちかきころ京に、藤谷ノ專右衛門成章といふ人有ける、それがつくれる、かざし抄あゆひ抄六運圖略などいふふみどもを見て、おどろかれぬ、それよりさきにも、さる人有とは、ほの聞たりしかど、例の今やうの、かいなでの歌よみならんと、みゝもたゝざりしを、此ふみどもを見てぞ、しれる人に、あるやうとひしかば、此ちかきほど、みまかりぬと聞て、又おどろかれぬ、そもそも此ごろのうたよみどもは、すこし人にもまさりて、もちひらるゝばかりにもなれば、おのれひとり此道えたるかほして、心やりたかぶるめれど、よめる歌かける文いへる説などをきけば、ひがことのみ多く、みないとまだしきものにて、これはとおぼゆるは、いとかたく、ましてぬけ出たるは、たえてなきよにこの藤谷は、さるたぐひにあらず、又ふるきすぢをとらへてみだりに高きことのみいふともがらはた、よにおほかるを、さるたぐひにもあらず、萬葉よりあなたのことは、いかゞあらむ、しらず、六運の辨にいへるおもむきを見るに、古今集よりこなたざまの歌のやうを、よく見しれることは、大かたちかき世に、ならぶ人あらじとぞおぼゆる、北邉集といひて歌の集もあるを、見たるに、よめるうたは、さしもすぐれたりとはなけれど、いまのよの歌よみのやうなる、ひがことは、をさをさ見えずなん有ける、さもあたらしき人の、はやくもうせぬることよ、その子の專右衛門といふも、まだとしわかけれど、心いれて、わざと此道ものすときくは、ちゝの氣はひもそはりたらむと、たのもしくおぼゆかし、それが物したる書どもも、これかれと、見えしらがふめり、
104 ある人のいへること[四八三]
ある人の、古學を、儒の古文辭家の言にさそはれていできたる物なりといへるは、ひがこと也、わが古學は、契沖はやくそのはしをひらけり、かの儒の古學といふことの始めなる、伊藤氏など、契沖と大かた同じころといふうちに、契沖はいさゝか先(サキ)だち、かれはおくれたり、荻生氏は、又おくれたり、いかでかかれにならへることあらむ、
105 らくがき らくしゅ[五一六]
いはまほしき事の、あらはにいひがたきを、たがしわざとも、しらるまじく書て、おとしおくを、落し書(ブミ)と今もいへり、ふるくより有しことにて、そを又門屏などやうのところに、おしもし、たゞにかきもしけむ、かくてそのおとしぶみを、もじごゑに、らくしよともいひならひしを、後に其もじにつきて、らくがきともいひて、又後には、たゞなにとなく、たはぶれに、さるところに物かくを、らくがきとはいふ也、又たはぶれのさとび歌に、らくしゅといふ一くさ有リ、これもかのおとしぶみよりうつりて、もとは落書(ラクショ)なりけんを、訛りてらくしゅとはいふなンめり、愚問賢注に、童謡落書の歌とある、これ也、
玉勝間九の巻
花 の 雪 九
やよひのころ、あるところにて、さくらの花の、木ノ本にちりしけるを見て、一とせよし野にものせし時も、おほくはかうやうにこそ、散ぬるほどなりしかと、ふと思ひ出られけるまゝに、
ふみ分し昔恋しきみよしのの山つくらばや花の白雪、かきあつめて、例の巻の名としつ、雪の山つくられし事は、物に見えたり、
106 道のひめこと[五六九]
いづれの道にも、その大事とて、世にひろくもらさず、ひめかくす事おほし、まことに其道大事ならば、殊に世に広くこそせまほしけれ、あまりに重くして、たやしく伝へざれば、せばくなりて、絶やすきわざぞかし、そもみだりにひろくしぬれば、其道かろがろしくなることといふなるも、一わたりは、ことわりあるやうなれども、たとひかるがるしくなるかたはありとても、なほ世にひろまるこしはよけれ、広ければ、おのづから重きかたはあるぞかし、いかにおもおもしければとても、せばくかすかならむは、よきことにあらず、まして絶もせむには、何のいふかひかあらむ、されどちかき世に、道々に秘伝口決などいふなるすぢ、おほくは、道をおもくすといふは、たゞ名のみにて、まことは、ひとにしらさずて、おのれひとりの物にして、世にほこらむとする、わたくしのきたなき心、又それよりもまさりて、きたなき心なるぞおほかる、さるたぐひも、もろもろのはかなき技芸の道などは、とてもかくてもありぬべけれど、うるはしくはかばかしき道には、さること有べくもあらず、
107 契沖が歌をとけるやう[五七一]
歌の注は、むつかしきわざにて、いさゝかのいひざまによりて、意もいきほひも、いたくたがふこと多きを、契沖は、歌をとくこと、上手にて、よくもあしくも、いへることのすぢうよくとほりて、聞えやすし、しかるにをりをり、くだくだしき解(トキ)ざまのまじれるは、いかにぞや、たとへば遍昭僧正の、天津風の歌の注に、もとより風雲ともに、うきたる物なれば、久しく吹とづべきものにはあらざるによりて、しばしといへる詞、よくかなへり、といへるたぐひ也、すべてかのころなどの歌は、よみぬしの心には、さることまでを思へるものにはあらず、然るをかくさまに、こまかに意をそへてとどけるたぐひは、思ふに、佛ぶみの注釈どもを、見なれたるくせなめり、すべてほとけぶみの注尺といふ物は、深くせむとて、えみいはずくだくだしき意をくはへて、こちたくときなせる物ぞかし、
108 つねに異なる字音のことば[五七五]
字音(モジゴエ)の言の、みかしよりいひなれたるに、常の音とことなる多し、周禮をしゅうらい、檀弓をだんぐう、淮南子をゑなんじ、玉篇をごくへん、鄭玄をぢやうげん、孔頴達をくえうだつといふたぐひは、呉音なれば、こともなし、越王句践を、ゑつとうこうせんとよむは、たゞ引つめていふ也、子昂をすかうといふは、扇子銀子鑵子などのたぐひにて、これもと唐音(カラコエ)なるべし、子ノ字今の唐音にては、つうと呼(イフ)なれど、すといふは、宋元などのころの音にぞありけむ、又天子の物へ行幸の時、さきざきにて、おはします所を、行在所といふを、あんざいしょとよむは、此とき別(コト)にあんの音になるにはあらず、行灯行脚(アンドンアンギャ)などといふあんと同じことにて、これもむかしの唐音なるべし、今の唐音は、平声の時も、去声の時も、いんといへり、又もろこしの國の、明の代の明を、みんと呼(イフ)も、唐音也、今の代の清を、しんといふは、唐音の訛也、清ノ字の唐音は、ついんと呼(イヘ)り、又明の代のとぢめに、鄭成功といひし人を、國姓爺と称ふ、この姓ノ字をせんといふも、唐音にすいんといふを訛れる也、さてこの國姓爺といふ称(ナ)は、國姓とは、当時(ソノトキ)の王の姓をいひて、此人、明の姓を賜はれるよし也、爺は、某(ナニ)老某(ナニ)丈などいふ、老丈のたぐひにて、たふとめる称(ナ)也、ちかき代かの國にて、ことによくつかふもじ也、こは筆のついでにいへり、
109 八百萬ノ神といふを書紀に八十萬ノ神と記されたる事[五八五]
もろもろの神たちを、すべていふには、古事記をはじめて、そのほかの古き書どもにもみな、八百萬(ヤホヨロヅノ)ノ神といへるぞつねなるに、たゞ書紀にのみは、いづこにもいづこにも、八十萬(ヤソヨロヅノ)ノ神とのみありて、八百萬神とあるところは見えず、こはいかさまにも、撰者の心あることと見えたり、神の御名に、日高(ヒタカ)と申すをも、彼ノ紀には、みなかへて、彦としるされたるは、当代(ソノコロ)の天皇の御名をさけられたりとおぼしきを、此八十萬ノ神は、いかなるよしにかあらむ、いまだ思ひえず、さてかようのたぐひも、神の御名の文字なども、何も、後の世の書どもは、おほかた書紀にのみよれるをたまたま此称は書紀によらず、今の世にいたるまでも、八十萬ノ神とのみいひならへるは、めづらし、
110 人ノ名を文字音(モジコエ)にいふ事[五八六]
人の名を、世に文字の音にて呼ならへる事、ふるくは、時平(ジヘイ)大臣、多田ノ満仲(マンヂウ)、源ノ頼光(ライクワウ)、安倍ノ清明(セイメイ)などのごときあり、やゝ後には、俊成卿、定家卿、家隆卿、鴨ノ長明など、もはらもじこゑにのみいひならへり、琵琶ほうしの、平家物語をかたるをきくに、つねにはさもあらぬ、もろもろの人の名どもも、おほくはもじこゑに物すなるは、当時(ソノカミ)ことに、よの中にさかりなりしことなめり、
111 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事[五九八]
世の人の、神をなほざりに思ひ奉るは、かへすかへすこゝろうきわざなり、さるはほどほどに、たふとみ奉らぬにしもあらざンめれど、たゞよのならひの、人なみ人なみのかいなでのたふとみのみこそあれ、まことに心にしめて尊みたてまつるべきことを、思ひわきまへず、たゞおろそかにぞ思干たンめる、目にこそ見えね、此天地萬の物の、出来はじめしも、又むかし今の、世ノ中の大き小きもろもろの事も、人の身のうへ、くひ物き物居どころなにくれ、もろもろのことも、ことごとく神の御めぐみにかゝらざることはなきを、さるゆゑよしをばわすれはてて、なべての人、ただまがつひのまがことにのみまじこり、心をかたむけて、よろづにさかしだつひとはた、からぶみごゝろを、心とはして、まれまれに神代のおのが身々のうへにかゝれる、本なることをおもひたどらず、よろづよりもかなしきは、神の社神事(カムワザ)のおとろへなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろのふるき神の御社どもの、いみしくおとろへませるを、なほしたて奉らんの心ざしある人はうるさしとも思ふらめど、此事のうれしさの、あけくれ心にわすらるゝ間もなくおぼゆるから、筆だにとれば、かきいでまほしくてなん、
治まれる御代のしるしを千木たかく
神のやしろに見るよしもがな
たまかつま十の巻
山 菅 十
はてもなしいふびきことはいへどいへど
なほやますげのみだれあひつゝ
此野べのすさびよ、いとかくはかなき手奈良ひを、ものものしく、巻ごとに名つけて、歌をさへにそへたるは、我ながらだに、あやしくおぼゆるを、おのづからも見む人は、ましていかにことごとしと思ふらん、さるははじめの巻のはしに、ゆくりかに歌ひとつ物して、巻の名つけるまゝに、つぎつぎも一つ二つそかせしが、おのづからならひになりて、かならずさらではえあらぬわざのごとなりもてきぬるを、今さらにたがへむも、さくがにて、例のごと物するになむ、そもそのをりをり、思ひうるまゝに、よみいでもし、あるは他事(コトコト)によみたるがあるをも、とりいでなどするを、につかはしくおぼゆるも、なきをりなど、今かゝむとすとては、筆とりながら、思ひめぐらすに、例の口おそさは、とみにもいでこで、しりくはへがちなるも、あぢきなく物ぐるほしきわざになん、此山菅も、からうじてほりいでたる、さる歌のきたなげさよ、
112 物まなびのこゝろばへ[五九九]
むかしは、皇國(ミクニ)のまなびとて、ことにすることはなくて、たゞからまなびをのみしけるほどに、世々をふるまゝに、いにしへの事は、やうやうにうとくのみなりゆき、から國の事は、やうやうにしたしくなりもてきつゝ、つひにそのこゝろは、もはらからざまにうつりはてて、上つ代の事は、物の意はさらにもいはず、言葉だに、聞しらぬ異国(ヒトクニ)のさへづりをきくがごと、ものうとくぞなりにける、かくて後にいたりて、皇國の学(マナビ)を、もはらとすることもはじまりつれども、しか漢意(カラゴコロ)の、久しくしみつきたる人心にしあればたゞ名のみこそ、みくにのまなびには有けれ、いひといひ、おもひと思ふことは、猶みなからにぞ有けるを、みづからも、さはおぼえざるなめり、されば近き世、まなびの道ひらけて、よろづさかしくなりぬるにつけても、なかなかにそのからごゝろのみ、深くさかりにはなりて、古の意は、いよいよはるかになむなりにけるを、此ちかきころになりてぞ、そこに心つきぬる人の出来そめて、世はみなからなることをさとりて、人も我も、いにしへのこゝろをたづぬる道の、明(アカ)りそめぬる、しかすがに神直毘大直毘(カムナホビオホナホビ)の神のましましける世は、なほゆくさきいとたのもしくなむ、
113 いにしへよりつたはれる事の絶るをかなしむ事[六〇〇]
よの中に、いにしへの事の、いたくおとろへたる、又ひたぶるに絶ぬるなどもおほかるを、かゝるめでたき御代にあたりて、何事もおこしたてまほしき中に、たえたるも、あとをたづねて、又かじめむに、はじめづべきは、おそくもとくも、直毘ノ神の頼みの、なほのこれるを、一たび絶ては、またつぐべきよしなく、又はじむべきたよりなき事どもこそ、殊にいふかひなく、くちをしきわざには有けれ、ふるき氏々など、神代のゆゑよし重(オモ)きなどは、さらにもいはず、さらぬも、はやく末のたえはてぬるがおほき、今はいかに思ひても、二たびつぎおこすべきよしなくなん、これらをおもふに、萬のふるきことは、わづかにも残りて、絶ざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたゝめて、今より後、たゆまじきさまに、いかにもいかにも、つよくかたくなしおかまほしきわざぞかし、
114 もろもろの物のことをよくしるしたる書あらまほしき事[六〇二]
よろずの草木鳥獣、なにくれもろもろの物の事を、上の代よりひろめ委しく考へて、しるしたる書こそ、あらまほしけれ、もろこしの國には、本草などいふ、さるすぢのふみどもも、いにしへよりこゝらあンなるを、御國には、わづかに源ノ順の和名抄のみこそはあれ、かの書のさま、すべていとしどけなく、からぶみを引出たるやうなども正しからず、いにしへさまのことにうとく、すべてたらはぬことのみ也、されどこれをおきては、ふるくよるべき書のなきまゝに、人も我も、もはら萬の物の考へのよりどころにはする也、ちかきころ、新撰字鏡といふもの出て、ふるくはあれども、事ひろからずかりそめなるうへに、あやしきもじども多くなどして、ことさまなるふみなるを、さすがに和名抄をたすくべき事どもは、おほくぞ有ける、これらをおきて、後の世に作れるどもは、あまたあれども、たゞみな例のからまなびのかたによれるのみにて、皇國のまなびのためには、おさおさ用もなきを、今いかで古事記書紀万葉集など、すべてふるきふみどもをまづよく考へ、中むかしのふみども、今の世のうつゝの物まで、よく考へ合せて、和名抄のかはりにも用ふべきさまの書を、作り出む人もがな、おのれはやくより、せちに此心ざしあれど、たやすからぬわざにて、物のかたてには、えしも物せず、いまはのこりのよはひも、いとすくなきこゝちすれば、思ひたえにたれば、今より後の人をだにと、いざなひおくになん、此六七年ばかりさきに、越前ノ國の府中の人とて、伊藤東四郎多羅といへる、まだわかきをのこなりけるが、とふ(ム)らひきて、かたりけるは、多羅が父は、いはゆる物産の学を好みて、ものしけるまゝに、多羅も、わらはなりしほどより、其すぢに心よせけるを、もろこしさまの事は、たれもたれも物するわざにて、人のふみはたよにともしからぬを、皇國の此すぢの事、よくしるしたるは、いまだ見え聞えざンなれば、多羅は、今より皇國のこのまなびを、物してんと心ざして、かつがつ考へたる事どももある也とて、一巻二巻かきあつめたるをも、とうでて見せけるを、はしばしいさゝか見たりしに、おのが思ふにかなへるさまにて、考へも、よろしく見えしかば、これいかでおこたらずつとめて、しはててよと、ねんごろに、かへすかへすすゝめやりしを、さて後いかになりぬらむ、音もなし、ちかきころ、しのちかき國の人にあへりしに、この事かたりて、とひけるに、たしかにはしらぬさまにて、かのをのこは、みまかりぬとか、ほのかに聞しよしいひたりし、それまことならば、いとあたらしくくちをしきわざにぞ有ける、
115 譬ヘといふものの事[六〇五]
たゞにいひては、ことゆきがたきこゝろも、萬の物のうへにたとへていへば、こともなくよく聞ゆること、多くあるわざ也、されば、このたとへといふ事、神代より有て、歌にも見え、今の世の人も、常にものすること也、皇國のみにもあらず、戎(カラ)の國々にも、古より有けるを、もろこし人は、すべて物のたとへをとること、いち上手にて、言すくなくて、いとよく聞えて、げによく譬(タト)ヘたりとおぼゆることのおほかるを、佛の經どもに、殊に多く見えたるたとへは、おほくは物どほくして、よくあたれりとも聞えぬ事をくだくだしくながながといへるなど、いといとつたなし、佛といへる人のいへることも、かゝるものにや、
116 物をときさとす事[六〇六]
すべて物の色形、又事のこゝろを、いひさとすの、いかにくはしくいひても、なほさだかにさとりがたきこと、つねにあるわざ也、そはその同じたぐひの物をあげて、其の色に同じきぞ、某のかたちのごとくなるぞといひ、ことの意をさとすには、その例を一つ二つ引出ヅれば、言おほらかで、よくわかるゝものなり、
117 源氏物語をよむことのたとへ[六一〇]
源氏物語とて、世にもて興ずる、五十四帖の草子とやらむ、心みに、なにことぞと、くりひろげて見しかば、みだれたる糸すじの、口なきやうにて、さらによみとかれ侍らぬは、いかにと問、さかし、たゞなれよ、のちのち見もてゆかば、さながらまどひはてじ、ととへていはば、六月ばかり、いと暑き日かげをしのぎきたらむ人の、内に入ては、やみのうつゝのさだかならで、物のいろふし、あやめもわかれねど、をること久しくなれば、じねんに、かのうつは物此調度と、こまかに見わかるゝが如し、と同集の文にあり、この集は、長嘯子の歌又文をあつめたるふみ也、
118 さらしなのにきに見えたること[六一八]
さらしなの日記にいはく、二むらの山の中に、とまりたる夜、大きなる柿の木の下に、いほをつくりたれば、よひとよいほのうへに、柿のおちかゝりたるを、人々ひろいなどすといへり、これは菅原ノ孝標といひける人の女のかける物にて、さしもとほき世の事にもあらぬを、そのかみなほ旅の屋どりは、かゝる事も有けるをおもへば、つねに歌によむなる、草の枕もあがれりし世には、まことにさることにぞ有けむかし、
119 おのが帰雁のうた[六一九]
帰雁の題にておのれ、「春くれば霞を見てやかへる雁われもとそらに子ひたつらむ、いまひとつ、「かへるかりこれもこしぢの梅香や風のたよりにさそひそめけむ、とよめりける後なるをよく思へば、末の二句に、雁の縁なくて、いかにぞやおぼえければ、またとかく思ひめぐらして、「うめがかやさそひそめけむかへる雁これも越路の風のたよりに、となんよみなほしける、これはしも、こしぢを末の句にうつしたるにて、雁の緑はさることながら、歌ざまは、いさゝかおとりておぼゆるは、いかならむ、歌よく見しれらむ人、さだめてよ、
120 師をとるといふ事[六二二]
源氏物がたりの紅葉賀ノ巻に、舞の師どもなど、よになべてならぬをとりつゝ、おのおのこもりてなんならひけるとあり、世の言に、師匠をとる、弟子をとるといふも、ふるきことなりけり、
玉勝間十一の巻
さ ね か づ ら 十一
こぬものを思ひたえなでさねかづら
まつもくるしやくるゝ夜ごとに
これは夜毎にまつといふ、題よみのなるを、巻の名つけむとて、例のひきいでたるになん、
121 人のうまるゝはじめ死て後の事[六七二]
人の生れ来るはじめ、また死(シニ)て後、いかなるものぞといふこと、たれも心にかけて、明らめしらまほしくするならひなるを、佛ぶみに説たる、生死(うまれしに)の趣、心性のさだ、いとくはしきやうなれど、みな人の考へたるつくりことなれば、よくさとりあきらめたらむも、つひに何の用もなき、いたづらわざ也、たゞ儒者の説に、死(シニ)て身ほろびぬれば、心神もともに消うせて、のこることなしといへるぞ、よく思ひめぐらせば、まことにさるべしことわりとは聞こえたる、然はあれども、これも又たのみがたし、すべてものの理は、かぎりなきものにて、火の色は赤きに、所焼(やけ)たる物は、黒くなり、又灰になれば、白くこそなれ、すべてかく思ひのほかなること有て、思ひはかれるとは、いたくたがへることのおほければ也、されば人の死て後のやうも、さらに人の智(サトリ)もて、一わたりのことわりによりて、はかりしるべきわざにはあらず、思ひのほかなるものにぞ有べき、これを思ふにも、皇國の神代の神のつたへ説(ごと)に夜見(ヨミノ)國にまかるといへるこそ、いといとたふとけれ、から國のことわりふかげなる、さかしき説どもは、なかなかにいとあさはかなること也かし、
122 うひ学びの輩の歌よむさま[六七四]
今の世にうひまなびのともがらの、よみ出たる歌は、きこえぬところを、聞ゆるさまにとりなほせば、古人の歌と、もはら同じくなること、つねにあり、これさるべきこと也、いかにといふに、うひまなびのほどは、おほかた題をとりぬれば、まづ昔のよき歌の集の中の、その題の歌どもを見て、その中の一つによりて、こゝかしこすこしづゝ詞をかへて、つゞりなすならひなるを、大かた古ヘ人のよき歌は、其詞みな、かならず然いはではかなはぬさまにて、おほかた一もじかへがたきものなるを、いまだしきものの、心もえず、こゝかしことかへぬれば、かへたる所の、必ズとゝのはぬわざなるゆゑに、歌よく心得たる人の見て、そをとゝのふさまに引なほせば、かならず又本の古歌とひとしくはなる也、さてさやうに古歌ともはら同じくては、新によめるかひなきやうなれども、うひまなびのほどのは、後まで、よめる歌数に入びきにもあらざれば、そはとてもかくてもありぬべし、歌のさまこゝろえむまなびのためには、しばらくただおいらかにて、上の件のごとしたらむどよかるべき、さるをはじめよりさかしだちて、人のふるさぬめづらしきふしをやまむとせば、中々によこさまなるあしき道にぞ、まどひいりぬべき、
123 後の世ははづかしきものなる事[六九三]
安藤ノ為章が千年山集といふ物に、契沖の万葉の注釈をほめて、かの顕昭仙覚がともがらを、此大とこになぞらへば、あたかも駑胎にひとしといふべしといへる、まことにさることなりかし、そのかみ顕昭などの説にくらべては、かの契沖の釈は、くはふべきふしなく、事つきたりとぞ、たれもおぼえけむを、今又吾ガ県居ノ大人にくらべてみれば、契沖のともがらも又、駑胎にひとしとぞいふべかりける、何事もつぎつぎに後の世は、いとはづかしきものにこそありけれ、
124 うたを思ふほどにあること[六九四]
歌よまむとて、思ひめぐらすほど、一ふし思ひたえたる事のあるに、心のごといひとゝのへがたくて、時うつるまで思ひ、あるは日をかさねても、同じすぢにかゝづらひて、とかくつゞけみれども、つひに事ゆかぬことあるものなり、さるをりは、そのふしをば、きよくすてて、さらにほかにもとむべきわざなるを、さすがにをしく、すてがたくて、あいあずはおぼえながら、いかゞはせむに、しひてつゞり出たる、いと心ぎたなきわざにはあれども、たれもよくあること也、又さように久しく思ひわずらひたるほどに、そのかゝづらへるすぢにはあらで、思ひかけぬよき事の、ふとかたはらより出来て、たやすくよみ出らるゝこともありかし、されどそれも、深く思ひ入たるから、さるよきことも出来るにて、はじめよりのいたつきの、いたずらになれるにはあらずなむ、そもそもこれらは、えうもなきあだことなれども、おもひ出たるまゝに、書出たるなり、
125 假字のさだ[七〇六]
源氏物語梅枝巻に、よろづの事、むかしのはおとりざまに、浅くなりゆく世の末なれど、かんなのみなむ、今の世は、いときはなくなりたる、ふるきあとは、さだまれるやうにはあれど、ひろきこゝろゆたかならづ、ひとすぢに通ひてなむ有ける、たへにおかしきことは、とよりてこそ、書いづる人々有けれといへり、此ノかんなといへるは、いろは假字のこと也、此かたは、空海ほうしの作れりといふを、萬の事、はじめはうひうひしきを思ふに、これも、出来つるはじめのほどは、たゞ用ふるにたよりよきかたをのみこととはして、その書キざまのよきあしきをいふことなどまでは及ばざりけんを、やうやうに世にひろくかきならひて、年をふるまゝに、書キざまのよさあしさをも、さだすることにはなれりけむを、源氏物語つくりしころは、此假字出来て、まだいとしも遠からぬほどなりければ、げにやうやうにおかしくたへにかきいづるひとのいでくべきころほひ也、
126 皇國の学者のあやしき癖[七〇六]
すべて何事も、おのが國のことにこそしたがふべけれ、そをすてて、他ヒトの國のことにしたがふべきにはあらざるを、かへりて他ヒトの國のことにしたがふを、かしこきわざとして、皇國のことにしたがふをば、つたなきわざとこゝろえためるは、皇國の学者の、あやしきくせ也、はかなきことながらたとえば、もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、しかいふをばつたなしとして、中華中国などいふを、かしこきこと心得たるひがことは、馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中国などは、いふままじきことと、物のこゝろをわきまへたるひとはた、猶漢もし唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ、震旦支那など書クたぐひもあンなるは、中華中国などいふにくらぶれば、よろしけれども、震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名なれば、そもなほおのが國のことをすてて、人の國のことにしたがふにぞ有ける、もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはば、漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ、かく己が國のことをたてたらむこそは、雄々(ヲヲ)しき文ならめ、他(ヒト)の國のことにへつらひよりて書むは、めゝしくつたなきわざにぞ有ける、こはもろこしの國の名のみにもあらず、よろずにわたれる事ぞかし、なほ此たぐひなる事を、一ツ 二ツ いはば、遥なる西の國々にて此大地にあらゆる國々をすべて、五ツに分たるも、つけたる名どもも、もとより他(ヒト)國のことにて、殊に近き世に聞えきつることなるを、神代より皇國に伝はりたる説のごと、うちまかせてしたがいよるは、これはた他(ヒト)の國のことといへば、たふとみ信ずる、例のあやしき癖にぞありける、又もろこしの國の音(コエ)は、他國の音を訳(ウツ)すに、いと便リあしくて、いにしえに天竺の國の佛ぶみを訳(ウツ)せるにも、多くはまさしくはあたりがたかりしことなるを、近く明の世のほどなどに、かの遥なる西の國國の名ども、又そのよろづの詞を、訳(ウツ)せるどもを見るに、其字の音、十に七八は、かの言にあたらず、いたくたがへるがおほければ、假字づけなくては、其言しりがたく、訳字(ウツシモジ)はいたづらなるがごとし、かくいふは、皇國の漢音呉音によりてにはあらず、ちかき世の唐音といふ音によりていふ也、かゝればもろこしの國國の言をおぼえたらむは、皆誤りてぞ有べきを、皇國の假字は、他國の音を訳(ウツ)すに、いとたよりよければ、おさおさたがふことなし、さればこうこくにては、かのもろこしの訳字をば、みな廃て、此方(ココ)の訳(ウツシ)をのみ用ふべきこと也、それも片假字は、しどけなくて、漢文などには書キがたくは、眞假字(マガナ)を用ふべし、眞假字ちは、いはゆる万葉假字にて、伊呂波爾保閇登とやうにかくをいふ、すべてあらたに此假字を用ひて、かの五つの洲の名の、亜細亜をば阿自夜(アジヤ)、欧羅巴をば要呂波(エウロハ)とやうに、萬ヅの言を、みなかくさまに訳(ウツ)しなば、いとよろしかるべきに、よろしくたよりよき、己が國のことを用ひずして、かのみろこしの、ものどほくたよりあしく、あたらぬ訳字を、大事と守りて用るは、いといとつたなく愚なることにて、これはた例の、他國(ヒトノクニ)のことにしたがふを、かしこきわざと心得たる、あやしき学者のくせなりけり、
127 万葉集をよむこゝろばへ[七一〇]
万葉集今の本、もじを誤れるところいと多し、こは近き世のことにはあらで、いとはやくより、久しく誤り来ぬるものとぞ見えたる、然るにちかきころは、古学おこりて、むねと此集を心にかくるともがら、おほきが故につぎつぎによきかむかへ出来て、誤れる字(モジ)も、やうやうにしられたること多し、されど猶しられざるもおほきなり、その心してよむべき也、むげに聞えぬところどころなどは、大かた誤字にぞ有りける、さて又すべて訓(ヨミ)も、誤いと多し、さるは此集はじめは、訓はなかりしを、やゝ後に始めて附ケたりし、その訓は、いといとをさなくて、えもいはぬひがことのみにして、さらに用ひがたきものなりしを、中むかしまでさて有しを、仙覚といひけるほうし、力を用ひて、多く訓を改めたる、今の本は、此仙覚が訓にて、もとのにくらぶれば、こよなくまさりてぞ有ける、然れどもなほよからざること多きを、ちかき世に、契沖法師があらためたるにて、又こよなくよくなれり、然れども誤字なるをしらずして、本のまゝによめるなどには、強(シヒ)たることおほく、そのほかすべてのよみざまも、なほよからざること多きを、その後又此集の事、いよいよくは敷くなり茂木塗るまにまに、訓もいとよくなれれども、なほいまだ清く直(ナホ)りはてたりとはいひがたし、まづ誤字のことごとくしられざるほどは、訓もことごとくよろしくは直りがたきわざ也、誤字のなほいとおほかるを、その字のままによむとせぬには、かへりてしひごとになるたぐひ多かンべきを、よく心得べし、又すべての訓ざま、假字書キのところをよく考へて、その例をもてよむべきなり、おほかたこれら、此集をよむに、むねと心得べき事ども也かし、
128 足ことをしるといふ事[七一一]
たることをしるといふは、もろこし人のつねに、いみしきわざにすめることなるを、これまことにいとよきことにて、しか思ひとらば、ほどほどにつけて、たれもたれも、心はいと安(ヤス)かりぬべきわざにぞ有ける、然はあれども、高きみじかき、ほどほどにのぞみねがふことのつきせぬぞ、世の人の真情(マゴコロ)にて、今はたりぬとおぼゆるよはなきものなるを、世には足(タル)ことしれるさまにいひて、さるかほする人の多かるは、例のからやうのつくりことにこそはあれ、まことにきよく然思ひとれる人は、千万の中にも、有がたかるべきわざにこそ、
玉かつま十二の巻
や ま ぶ き 十二
われとひとしき人しなければ、といひける人も有けれど、よしやさばれおのれは
思ふこといはではやまじやまぶきも
さればぞ花の露けかるらむ
129 又妹背山[七二九]
寛政十一年春、又紀の国に物しけるをり、妹背山の事、なほよくたづねむと思ひて、ゆくさには、きの川を船よりくだりけるを、しばし、陸におりて、批山をこえ、かえるさにもこえて、くはしき尋ねける、そは紀の国ノ伊都ノ郡橋本の駅より、四里ばかり西に、背山村といふ有て、其村の山ぞ、すなわち背山なりける、いとしも高からぬ山にて紀の川の北の邊に在て、南のかたの尾さきは、川の岸までせまれり、村は、批山の東おもての腹にあり、大道は、川岸のかの尾さきのやゝ高きところを、村を北にみてこゆる、道のかたわらにも、屋どもある、それも背山村の民の屋也、批山までは伊都の郡なるを、その西は那賀の郡にて、名手の駅にちかし、かくて花の雪の巻にも、既にいへるごとく、妹山といふ山はなし、批背ノ山の南のふもとの河中に、ほそく長き嶋ある、妹山とはそれをいふにやと思へど、批嶋は、たゞ岩のめぐりたてる中に、木の生ヒしげるたるのみにて、いさゝかも山といふばかり高きところはなし、又批嶋を背ノ山也といふも、ひがごと也、そは川の瀬にある故に、背の山とはいふと、心得誤りて、背山村といふも、批嶋によれる名と思ひためれど、然にはあらず、万葉に、せの山をこゆとあれば、かの村の山なること明らけし、川中の嶋は、いかでかこゆることあらむ、さて、又川の南にも、岸まで出たる山有りて、背ノ山と相対ひたれば、これや妹山ならむともいふべけれど、其山は、背ノ山よりやゝ高くて、山のさまも、背の山よりをゝしく見えて、妹山とはいふべくもあらず、そのうへ河のあなたにて、大道にあらず、こゆる山にあらざれば、妹の山せの山こえてといへるにも、かなはざるをや、とにかくに妹山といへるは、たゞ背の山といふ名につきての、詞のあやのみにて、いはゆる序枕詞のたぐひにぞ有ける、
130 俊成卿定家卿などの歌をあしくいひなす事[七六〇]
ちかきころ、万葉ぶりの歌をものするともがら、みだりにこゝろ高きことをいひて俊成ノ卿定家ノ卿などの歌をば、いたくつたなきやうに、たやすげにいひおとすなるは、世の歌よみどもおしなべて、神のごとたふとみかしこむを、ねたみて、あながちにいひくたさむとする、みだりごと也、そもそも批卿たちの歌、あしきことも、たえてなきにはあらざめれど、すべてのやう、いにしへより世々のあひだに、ぬけ出たるところ有て、まことにいとめでたし、しかいひおとすともがら、いかによむとも、あしもとへもよることあたはじをや、
131 物しり人もののことわりを論ずるやう[七六二]
世のものしり人、人の身のうへ、よの中のことわりなどを、さまざま心たかく、いとかしこげには論へども、といふもかくいふも、みなからぶみのおもむきにて、その垣内を出ることあたはざるは、いかにぞや、
132 歌に六義といふ事[七六三]
歌に六義といふことを、やむことなきことにするは、いと愚かなることなり、六義は、もろこしの国にて、上代の詩にさだせることにこそあれ、歌にはさらにさることなし、歌にいふは、古今集の序に、歌のさまむつ也とて、その六くさを分て、あてたるよりおこれる事なるを、そはかのもろのこしの詩にならひて、六くさには分たれども、さらにかなはぬことどもにて、そへ歌といひ、なずらへ歌といひ、たとへ歌といへるなど、此三つは、皆同じことなるを、かの詩の六義の名どもにあてむとて、しひて分たるもの也、又いはひ歌を、此うちに入レたるも、あたらず、もしいはひ歌をいれば、恋歌かなしびの歌などをも、いれずはあるべからず、そもそも此古今集の序は、すべて歌のことをば、よくも尋ねずして、たゞもろこしにて、上代の詩の事をいへるを、そのまゝにとりて書ること多くして、歌にはさらにかなはぬことがちなる中に、此六義は、殊にあたらぬことにしあれば、深く心をいれて、とかく論ふは、やくなきいたづらごと也、もろこしにて、詩のうへの六義だに、さまざま説有て、さだめがたきことなるに、いはむや歌にうつしあてては、いかでかよくかなふやうのあらむ、いはゆる古注に、おほよそむくさにわかれむことは、えあるまじきことになむといへるぞ、よくあたれる論ヒには有ける。此ノ一ト言にて、六義の論はつきたるべし、
133 物まなびはその道をよくえらびて入そむべき事[七八五]
ものまなびに心ざしたらむには、まづ師をよくえらびて、その立たるやう、教ヘのさまを、よくかむかへて、したか゛ひそむべきわざ也、さとりにぶき人は、さらにもいはず、もとより智とき人といへども、大かたはじめにしたがひそめたるかたに、おのづから心はひかるゝわざにて、その道のすぢわろけれど、わろきことをえさとらず、又後にはさとりながらも、としごろのならひは、さすがにすてがたきわざなるに、我とかいふ禍神さへ立そて、とにかくにしひごとして、なほそのすぢをたすけむとするほどに、終によき事はえ物せで、よのかぎりひがごとのみして、身ををふるたぐひなど、世におほし、かゝるたぐひの人は、つとめて深くまなべば、まなぶまにまに、いよいよわろきことのみさかりになりて、おのれまどへるのみならず、世の人をさへにまどはすことぞかし、かへすかえすはじめより、師をよくえらぶべきわざになむ、此事は、うひやまぶみにいふべかりしを、もらしてければ、こゝにはいふ也、
134 八景といふ事[七八六]
世に八景といふことの、こゝにもかしこにも多かるは、もともろこしの国の、なにがしの八景といいふをならひて、さだめたる、近江八景ぞはじめなめるを又それにならひてなりけり、さるはむげに見どころもなきところをさへに、しひて入れなどしたるがおほかるは、いかにぞや、まことにその景を賞とならば、けしきよきかぎりをとりてこそ、さだむべけれ、その数にはさらにかゝはるまじく、いくつにても有べきに、数をかたく守りて、かならず八にとゝのへむとしたるこそ、こちなくおぼゆれ、
135 よはひの賀に歌を多く集むる事 なき跡にいしぶみをたつる事[七八七]
よはひの賀に、やまともろこしくさぐさの歌を、ひろくこひももとめて集むる事、今の世に、人のおほくすることなり、みやびわざとはいへど、さる心もなきものの、みだりにふくつけく物して、たゞ数おほくあつまれるを、たけきことにすなるは、中々にこちなくぞおぼゆる、又さしもあるまじききはの人の、墓にもこと所にも、ことごとしきいしぶみをたつることも、今の世にはいと多かる、これはたあまりたぐひおほくて、めづらしげなく、中々にこゝろおとりせられて、うるさくさへこそおぼゆれ、
136 金銀ほしからぬかほする事[七八八]
金銀ほしからずといふは、例の漢やうの偽にぞ有ける、学問する人など、好書をせちに得まほしがる物から、金銀はほしからぬかほするにて、そのいつはりはあらはなるをや、いまの世よろづの物、金銀をだに出せば、心にまかせてえらるゝものを好書ほしからむには、などか金銀ほしからざらむ、燃はあれども、はゞかることなくむさぼる世のならひにくらぶれば偽ながらも、さるたぐひは、なほはるかにまさりてぞ有べき、
137 雪蛍をあつめて書よみけるもろこしのふること[八〇二]
もろこしの国に、むかし孫康といひける人は、いたくがくもんを好みけるに、家まずしくて、油をえかはざりければ、夜は、雪のひかりにて、ふみをよみ、又同じ国に、車胤といひし人も、いたく書よむ事をこのみけるを、これも同じやうにいと貧くて、油をええざりければ、夏のころは、蛍を多くあつめてなむよみける、此二つの故事は、いといと名高くして、しらぬ人なく、歌にさへなむおほくよむことなりける、今思ふに、これらもかの国人の、例の名をむさぼりたる、つくりことにぞ有ける、其故は、もし油をええずは、よるよるは、ちかどなりなどの家にものして、そのともし火の光をこひかりても、書はよむべし、たとひそのあかり心にまかせず、はつはつなりとも、雪蛍には、こよなくまさりたるべし、又年のうちに、雪蛍のあるは、しばしのほどなるに、それがなきほどは、夜ルは書よまでありけるにや、いとおかし、
玉勝間十三の巻
お も ひ 草 十三
末ひろくしげるけりかな思ひ草
を花が本は一もとにして
かくよめるこゝろは、恋の歌につねに、尾花がもとの思ひ草とよむなるは、そのはじめを尋ぬれば、万葉集の十の巻に、「道のべのをばなが本の思草、今さらに何物か思はむ、といへる歌たゞ一ツあるのみにて、これをおきては見えぬ事なるを、此一本によりてなむ、後にはひろくよむこととなれるよしをよめるにぞ有ける、そもそも此思ひ草といふ草は、いかなる草にか、さだかならぬを、一とせ尾張の名古屋の、田中ノ道麻呂が許より、文のたよりに、今の世にも、思ひ草といひて、すゝきの中に生る、小き草なむあるを高さ三四寸、あるは五六寸ばかりにて、秋の末に花さくを、其色紫の黒みたるにて、うち見たるは、菫の花に似て、すみれのごと、色のにほひはなし、花さくころは、葉はなし、此草薄の中ならでは、ほかには生ず、花のはしつかたなる所の中に、黒大豆ばかりの大キさる実のあるを、とりてまけば、よく生る也、されどそれも、薄の下ならでは、まけども植れども、生ることなし、古ヘの思ひ草も、これにやあらむ、されどすゝきの中にのみ生るから、近き世に事好むものの、おしてそれと名づけたるにもあらむかといひて、其草のカタをも書て、見せにおこせたる、そのかたは、かくぞ有ける、其後に又あるとき、花の咲たるころ、一もとほりて、薄のきりくひごめに、竹の筒の中にうゑて、たゞに其草をも、見せにおこせたるを、うつしうゑて見けるに、しばしは生つきたるさまにて有しを、ほどなく冬枯にける、又のとしの春、もえや出ると、まちけるに、つひにかれて、薄ながらに芽も出ずなりにきかし、さるは後にたづね見れば、此わたりの野山なる、すゝきの中にも、ある草にぞ有ける、これ古の思草ならむことはしも、げにいとおほつかなくなむ、
138 しづかなる山林をすみよしといふ事[八五〇]
世々の物しり人、又今の世に学問する人などもみな、すみかは、里とほくしづかなる山林を、住よくこのましくするさまにのみいふなるを、われはいかなるにか、さらにさはおぼえず、たゞ人げしげくにぎはゝしきところの、好ましくて、さる世ばなれたるところなどは、さびしくて、心もしをるゝやうにぞおぼゆる、さるはまれまれにものして、一夜たびねしたるなどこそは、めづらかなるかたに、おかしくもおぼゆれ、さる所に、つねにすままほしくは、さらにおぼえずなむ、人の心はさまざまなれば、人うとくしづかならむところを、すみよくおぼえむもさることにて、まことにさ思はむ人も、よには多かりぬべけれど、又例のつくりことの、漢ぶりの人まねに、さいひなして、なべての世の人の心と、ことなるさまに、もてなすたぐひも、中には有ぬべくや、かく疑はるゝも、おのが俗情のならひにこそ、
139 おのが京のやどりの事[八五一]
のりなが、享和のはじめのとし、京にのぼりて在しほど、やどれりしところは、四條大路の南づらの、烏丸のひむかしなる所にぞ有けるを、家はやゝおくまりてなむ有けれど朝のほど夕ぐれなどには、門に立出つゝ見るに、道もひろくはればれしきに、ゆきかふ人しげく、いとにぎはゝしきは、ゐなかに住なれたるめうつし、こよなくて、めさむるこゝちなむしける、京といへど、なべてはかくしもあらぬを、此四條大路などは、ことににぎはゝしくなむありける、天の下三ところの大都の中に、江戸大坂は、あまり人のゆきゝぬ多く、らうがはしきを、よきほどのにぎはひにて、よろづの社々寺々など、古のよしあるおほく、思ひなしたふとく、すべて物きよらに、よろづの事みやびたるなど、天ノ下に、すままほしき里は、さはいへど京をおきて、外にはなかりけり、
140 しちすつの濁音の事[九〇一]
土佐ノ国の人の言には、しとちと、すとつとのにごり声、おのづからよく分れて、混ふことなし、さればわづかにいろはもじをかくほどの童といへども、此仮字をば、書キ誤ることなしと、かの国人かたれり、
玉かつま十四の巻
つ ら つ ら 椿 十四
萬葉集の一の巻に、巨勢山のつらつら椿つらつらに、といふ歌をおもひ出て、われもよめるは、
世中をつらつらつばきつらつらに
思へばおもふことぞおほかる
さるはわがみのうへのうれへにもあらず、なべての世のたゝずまひ、人のありさまの、よきあしきことにつけて、おふけなく思ふすぢの、心にこめがたきは、おりおり此巻々にも、もらせるふしもおほかれど、猶いひてもいひても、つきすべくもあらずなむ、
141 一言一行によりてひとのよしあしきをさだむる事[九三五]
人のたゞ一言(ヒトコト)たゞ一行(ヒトワザ)によりて、其人のすべての善(ヨ)き悪きを、定めいふは、から書のつねなれども、これいとあたらぬこと也すべてよきひとといへども、まれにはことわりにかなはぬしわざも、まじらざるにあらず、あしき人といへども、よきしわざみまじるものにて、生(イケ)るかぎりのしわざ、ことごとに善き悪き一かたにさだまれる人は、をさをさなきものなるを、いかでかはたゞ一言一行によりては定むべき、
142 今の世の名の事[九三六]
近き世の人の名には、名に似つかはしからぬ字をつくこと多し、又すべて名の訓は、よのつねならぬがおほきうちに、近きころの名には、ことにあやしき字、あやしき訓有て、いかにともよみがたきぞ多く見ゆる、すべて名は、いかにもやすらかなるもじの、訓のよくしられたるこそよけれ、これに名といふは、いはゆる名乗実名也、某(ナニ)右衛門某(ナニ)兵衛のたぐひの名のことにあらず、さてまた其人の性(シヤウ)といふ物にあはせて、名をつくるは、いふにもたらぬ、愚なるならひ也、すべて人に、火性水性など、性といふことは、さらなきことなり、又名のもじの、反切といふことをえらぶも、いと愚也、反切といふものは、たゞ字の音をさとさむ料にこそあれ、いかでかは人の名、これにあづからむ、
143 絵の事[九五二]
人の像を写すことは、つとめてその人の形に似むことを要す、面やうはさらにもいはず、そのなりすがた衣服のさまにいたるまで、よく似たらむと心すべし、されば人の像は、つとめてくはしくこまかにうつすべきことなり、然るに今の世には、人の像を写すとても、ただおのが筆のいきおひを見せんとし、絵のさまを雅にせむとするほどに、まことの形にはさらに似ず、又真の形に似むことをば要せず、ただ筆の勢ひを見せ、絵のさまを雅にせんとすることをむねとするから、すべてことそぎてくはしからず、さらさらとかくゆに、面やうなど、その人に似ざるのみならず、甚いやしき賎やまがつのかほやうにて、さらに君子有徳の人のかほつきにあらず、これいとにくむべきことなり、
144 又[九五三]
古人の像をかくには、その面やういかにありけむ知がたければ、たゞその人の位にかなへ、徳にかなへて、位たかき人のかたは、面ようすべてのさまけたかく、まことにたかき人と見ゆるように書クべく、徳ありし人は、又その徳にかなへてかくべし、然るに後の絵師、この意を思はず、たゞおのが筆の勢ひを見せむとのみするほどに、位たかき人、徳ある人も、ただしず山がつの如く、愚味なる人の如くかきなせり、
145 又[九五四]
かほよき女のかたちをかくとても、例のたゞおのが筆のいきほいおのみをのみむねとしてかくほどに、そのかほ見にくやかなり、あまりなまめかしくかほよくかけば、絵のさまいやしくなるといふめれど、そはおのが絵のつたなきなり、かほよくてゑのさまいやしからぬやうにこそ書べけれ、己が絵がらのいやしくなるをいとひて、かほよき人を見にくゝかくべきいはれなし、美女のかほは、いかにもいかにもかほよくかくべきなり、みにくやかなるはいといと心づきなし、但し今の世に、江戸絵といふゑなどは、しひてあながちにかほよくせんとするほどに、ゑのさまのいやしき事はさらにもいはず、中々にかほ見にくゝ見えて、いとつたなきことおほし、
146 又[九五五]
世に武者絵といひて、たけき人の戦ひのさまをかく、其かほやう人とも見えず、目丸く大きに、鼻いかり口大きにて、すべて鬼のごとし、いかにたけきさまを見せむとすればとて、人にもあらず、しか鬼のやうには書べきわざかは、ただおだやかに人と見えて、しかもたけきいきほひあるさまにこそかくべけれ、或から書に、皇國の絵の事をいへるに、その人夜叉羅刹の如しといへり、思ふにこの鬼の如くかける武者絵を見ていへるなるべし、されどかの國人は皇國人のさまおば見しらねば、さいへる書をよみては、日本人のかほはすべてみな、鬼の如くなる物とぞ心得らむ、すべての事、皇國人は、もろこしの事は、から國のもろもろの書をよむゆゑに、よくしれるを、もろこし人は、皇國の書をよむことなければ、皇國の事はしらず、まれまれには、かに國の書の中にいへることあれば、それを定(デウ)として心得ることぞかし、皇國の人物の絵も、異國の人の見ては、それをでうとすることなれば、かの位高き人のかほを山がつのごとくいやしく書キなし、かほよき女のかほを見にくゝかきなせるなどを、異國人の見たらむには、日本人の形いやしく女もみな見にくきことぞとぞ心得べき、こは異國人のみにもあらず、同じ皇國人にても、しらぬ昔の人のかほは、絵にかけるを一度見れば、おのづからそのおもかげを、その人のかほと思はるゝ物ぞかし、
147 また[九五六]
おのれ、絵のことはさらにしらねば、とかくいふべきにあらざるに似たれども、よろずのことおのがよきあしきはえしらで、かたはらよりはよく見ゆるものなり、もろもろの藝などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえしらで、かへりて他よりよきあしきさまのよく見ゆることあり、絵もさる心ばへあれば、今おのが思ふすぢをいふなり、まづやまともろこしの古より、代々の絵の事は、あまたも見あつめず、くはしくしらねば、さしおきて、たゞ今の世につねに見およぶところをもていはん、そはまづ、墨絵、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざまある中に、墨絵といふは、たゞ墨をべたべたと書て、筆数すくなく、よろづをことそぎて、かろがろとかきて、その物と見ゆる、こはたゞ筆の力いきほひを見せたる物なれば、至りて上手のかけるは、げにかうも書べしとおぼえて、見どころあるもあれど、おしなべての絵師のかけるは、見どころなく心づきなきものなり、さるを世の人、たゞ此墨絵をことにいみしきことにしてめづるは、世のならひにしたがふ心にて、まことにはみどころなきものなり、近き世に茶の湯といふわざを好むともがらなど、殊に此墨絵をのみめでて、さいしき絵はすべてとらず、これもその人々、まことにしか思ひとれるにはあらず、たゞその道の祖のさだめおきつる心ばへを守りて、しかるなり、すべて此茶の湯にめづる筋は、絵も、書も、さらに見どころなくおかしからなるを、かたくまもりてたふとむは、いといとかたくななることなり、さてうすざいしきは、なつかしくやはらびておかし、ごくさいしきいといふにいたりては、物によりてめでたきもあり、又まれにはあまりこちたく見えてうるさき所もあるなり、水を紺青といふ物にしてかけるたぐひ、ことにこちたし、さて絵の流、さまざまある中に、むかしよりこれを業とたてたる家々あり、大かた此家々の絵は、その家々の伝ありて、法をのみ重くまもりて、必しもその物のまこともさまをばとはず、此家といふすぢの絵に、よきことありあしきことあり、まずかの位たかき人のかほのいやしげに見え、美女のかほふくらかにて見にくきなど、いといとこゝろづきなし、又人の衣服のきは、折目などの筋を、いとふとくかけるもかたはなり、これみな、筆の力を見せむとするしわざなり、もろこしの松をかくに、一種から松といひて、必ことなる松をかくは、思ふにむかしかの國人のかける絵に、さるさまの松ありけむをならひつたへたるならむ、これから國にさやうのまつの、一種あるにはあらず、たゞ世のつねの松なるを、かきさまのつづきなきは、つたなくかける墨絵、このからまつ、人物の衣の折目の筋ふとき、さてはだるま、布袋、福禄寿などいふもののかた、すべて是ら、一目見るもうるさく、二度と見やらんとおぼえずなん、大かた旧き定めをばまもるは、いとよきことなれども、そは事により、物にこそよるべけれ、絵などは必しも然るべからず、他のよきを見て、うつることあたはざるはいとかたくななり、されど又、家の法といふ中に、いといとよろしく、まことに、屋上を去て内を見する事、雲をへだてて遠近をわかつこと、さるべきことにて、その法にはずれては、いとあやしきこともおほくして、今時のこゝろにまかせれかきちらすゑどもの、及びがたき事もおほかりかし、又今の世に、もろこしのふりとてまねびたるさまざまあり、その大かたは、まづ何をかくにも、まことの物のやうをよく見てまねびかく、これを生(シヤウ)うつしとかいふ、こはまことによろしかるべくおぼゆることなり、しかれども、まことの物と絵とはことなることもありて、まことのあるまゝにかきては、かへりて其物に似ずして、あしきこともある物なり、故にかの家々には法ありて、かならずしもその物のまことのまゝにはかゝはらぬ事あるなり、こは法のいみしくしてすてがたき物なり、まづ山水といふ絵、すべてこゝの家々の絵よろし、もろこそやうはいといとわろくこちなく見ぐるしきことおほし、これその法によらずして、心にまかせてかくゆゑなり、あるひは道あるまじき所に道をかき、橋あるまじき所に橋をかき、その外いはほ草木など、かきてわろき所にかき、おほくてよき所にはすくなく、おほくてわろきところにおほくかくたぐひ、すべてもののかきどころわろく、草木岩根のたゝずまひ、さかしきみねのさまなど、つたなく見ぐるしきこと、大かたこれらは上手の絵の中にも此なむはあるなり、かの家々のはかゝることもみな法ありてかくゆゑにつたなからず、又から絵に舟をかくに斜めにかくことおほきもいたくわろし、大かた船のゆくゆくことはなゝめにみゆることつねにあれども、ゑにかきてはわろきなり、なゝめによらず、たゞまことの物のまゝにかくゆゑの失なり、又鳥虫をかくにこまかにくはしくはあれども、飛動くさまの勢ひなきがおほし、草木をかくに葉も茎も地との際の筋をかゝず、これわろし、是また際の筋は実はなき物なればじつによれるなれども、絵にかくときはすじなくてはあざやかにわかれず、すべてよろずの物、その実の物は、何もなき所が地にて、何もなき所は色なき物なるを、絵は白きが地にして、何もなき所が白し、その白き所へかくことなれば、実の何もなき空の地とは異なれば、きはの筋なきことあたはず、から絵に此筋のなきは此わきまへをしらざるなり、人の面をかくにはから絵といへども、地とのきはの筋をかゝざる事を得ず、又から絵は、木の枝ざし、草花のもとだち、葉のあり所など、法なきが如くにて、心にまかせてかくゆゑに、とりしまりなし、家の画はみな法ありとおぼしくて、とりしまりよくつたなきことなし、大かたこれらなべての唐画のつたなき所なり、しかれども唐絵は、鳥獣蟲魚草木など、すべて此方の家の画とくらぶれば、甚くはしここまかにかくゆゑに、じょうずのかけるはまことに、上手のかけるはまことに眞のその物のごとく見ゆるを、此方の家々の絵は、獣の毛のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらくかける故に、くらべて見ればからゑにけおさるゝ事おほし、こは広き家の屏風壁などの絵は、やゝ遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかにくはしくかけるは詮なく、中々によろしからざる事として、さらさらと書るをよしとするなるべけれど、猶こまかにくはしき唐画の方ぞまさりて見ゆる、大かた此家々の画と、唐絵とたがひにえたる所、得ぬ所ありて、勝劣をいひがたき事上件の如し、又ちかきころは、家の法にも菜づ先ず、唐絵のかきざまにもかたよらず、たゞおのが心もて、いづかたにまれよしとおぼゆるところをとりてかくたぐひも多き、そのすぢはよきをえらびわろきをすてて画ゆゑに、いづれもいみしきなんはをさをさ見えざるなり、
148 漢ふみにしるせる事みだりに信ずまじき事[九五七]
世の学者、ことの疑はしきを、から画にしかしか見えたりといへば、疑はず信ずるはいとをこなり、すべて漢籍、うきたる事、ひがこと、そら言いと多し、その言よきにまどひて、みだりに信ずべきにあらず、
149 世の中の萬の事は皆神の御しわざなる事[九五九]
世の中のよろづのことはみなあやしきを、これ奇しく妙なる神の御しわざなることをえしらずして、己がおしはかりの理を以ていふはいとをこなり、いかにともしられぬ事を理を以てとかくいふは、から人のくせなり、そのいふところの理は、いかさまにもいへばいはるゝ物ぞ、かれいにしへのから人のいひおける理、後世にいたりてひがことなることのあらはれたる事おほし、またつひに理のはかりがたきことにあへば、これを天といひてのがるゝ、みな神ある事をしらざるゆゑなり、
150 聖人を尊む事[九六〇]
世々のもろこし人おしなべて、かの國の聖人といふ物を尊み信ずる中には、実に尊みしんずるひともあるべく、又こゝろにはいかにぞや思ふことあれども、聖人にたがひては世の人のそしりてうけぬことなるによりて、尊み信ずるかほして、世にしたがへるもありげに見ゆるなり、又もろもろの聖人どものなかに、孔子は、かの國の王にあらず、もはらその道の人なるがゆゑに、あるが中に此人をばことに尊み信ずめるは、これつとめてこれをほめたてて、その道を張むとするなり、
151 ト筮[九六一]
もろこしの國とても、いと上代には、後世のごとく、萬の事、己がおしはかりの理を以て定むる事は、さしもあらざりしこと、ト筮といふ物あるをもてしるべし、ト筮は己が心にさだめがたき事を、神にこひてその教えをうけて定むるわざなり、ト筮にいづるは、かみのをしへなり、然るを後世のごとく、己がこころをもて、物の理をはかりて、さだむることは、大かた周公旦といふさかしら人より、盛んにその風になれるなり、
152 から人の語かしこくいひとれること[九六三]
むかしより、世々に、もろこしひとのいへる、名たかき語どもをおもふに、たゞかしこく物にたとへもし、又たゞにても、おかしくいひとれるのみにこそあれ、そのこゝろは、学文もせぬつねの人も、心かしこきは、大かたみなもとよりよく心得たる事にて、さしもこゝろに及ばずめづらしき事はなし、されどよくいひとれるがかしこさに、げにさこそはあれと、みな人は感ずるなり、
153 論語[九六四]
論語の雍也篇の朱注に、仲弓蓋シ未喩夫子可字可字之意云々といへり、朱熹、つねに格物致知を教ふ、しかるに仲弓は孔丘が高弟なるに、いまだ可の字の意をだに喩らぬは、いかでか致知えを得む、孔丘が高弟すら、かくに如くならむには、常人はいかでかこれを得ん、大かた朱学の牽強付会みなかくの如し、
154 又[九六七]
同書に子曰、孰レカ謂微生高ヲ直シト、或乞ヘルニ醯ヲ焉、乞テ諸其隣ニ而与フ之ヲとあり、聖人の教えの刻酷なることかくの如し、これらはたゞいさゝかの事にて、さしも不直といふべきほどの事にあらず、かほどの事さえ、不直といひてとがむるは、あまりのことなり、又たとひ此事は、実に不直にもせよ、いさゝかなる此一事によりてその人を不直なりと定むるも、いといとあたらぬ事なり、すべてよき人にもあやまちわろき事はあるものなり、あしき人にもよき事もあるものなるを、たゞ一事の善悪によりて、その人のよしあしを定むるは、聖人の道のくせにて、ひがことなり、
155 又[九六八]
同書に、厩焚タリ、子退テ朝ヨリ曰、傷人乎、不問馬ヲ、これ甚いかがなり、すべての人の家の焚んにも、人はさしもやかるゝ物にあらず、馬はよくやかるゝものなり、まして馬屋のやけんには、ひとはあやふきことなし、うまこそいとあやふけれ、されば馬をこそ問ふべけれ、これ人情なり、しかるにまづ人をとふらいかゞなるに、馬をとはざるはいと心なき人なり、但し人をとへるはさることなれば記しもすべきを、うまをとはぬが何のよきことがある、是まなびの子どもの、孔丘が不情をあらはせり、不問馬の三字を削りてよろし、
156 はやる[九六九]
時ありて世に盛にものすることを、俗言にはやるといふ、疫病のはやる、医師のはやるなど、よろづの物にも、事にもいへり、この言中昔の書にも見えて、抄出しおきたり、それは今時にいふとはいさゝか心ばへかはりて聞ゆ、其人のはやり給ひし時とあり、これはたゞ時にあひて栄え給ひし時といふことなり、今医師などのはやるといふは、その産業の盛に用ひらるゝをいふを、かれはたゞその身の栄えをいへるなり、
157 人のうまれつきさまざまある事[九七一]
人のうまれつきさまざまあるものなり、物の義理、事の利害など、すべて萬の事を、心にはよく思ひわきまへながら、口にはえいはぬ人もあり、また口にはよくいへども、しか行ふ事はえせぬひともあり、又口には得いはねども、よく行ふ人もあり、又口にはよくいへども、ふみには得かきいでぬひとあり、又口にはえいはねども、文にはよく書いづるひともあるなり、
158 紙の用[九七二]
紙の用、物をかく外にいと多し、まづ物をつゝむこと、拭ふこと、また箱籠のたぐひに張て器となす事、又かうより、かんでうよりといふ物にして、物を結ふことなどなり、これらのほかにも猶ことにふれて多かるべし、しかるにもろこしの紙はたゞ物かくにのみ宣しくて、件の事どもにはいといと不便にぞありける、かくて皇國には國々より出る紙の品いといと多くて、厚きうすき、強(コハ)きやはらかなる、さまざまあげもつくしがたけれど、物かくにはなほ唐の紙に及(シク)ものなし、人はいかゞおぼゆらむしらず、我はしかおぼゆるなり、
159 古より後世のまされる事[九七三]
古よりも、後世のまされること、萬の物にも、事にもおほし、其一つをいはむに、いにしへは、橘をならびなき物にしてめでつるを、近き世には、みかんといふ物ありて、此みかんにくらぶれば、橘は数にもあらずおされたり、その外かうじ、ゆ、くねんぼ、だいだいなどの、たぐひおほき中に、蜜柑ぞ味ことにすぐれて、中にも橘によく似てこよなくまされる物なり、此一つにておしはかるべし、或は古にはなくて、今はある物もおほく、いにしへはわろくて、今のはよきたぐひ多し、こりをもておもへば、今より後も又いかにあらむ、今に勝れる物おほく出来べし、今の心にて思へば、古はよろづに事たらずあかぬ事おほかりけむ、されどその世には、さはおぼえずやありけん、今より後なた、物の多くよきがいでこん世には、今をもしか思ふべけど、今の人、事たらずとおぼえぬが如し、
160 名所[九七五]
歌枕の國郡を論ずるに、ふるき歌によめるをよく考へて、その國郡を定むべし、後世の歌は、たゞ歌の趣意により来れる所をよむ故に、その国所をばしらずそらによめる故に、後世の歌はさらに據とするにたらず、題詠のみならず、後世の歌は、その所にいたりてよめるも取がたきことあり、いかにといふに、ふるき歌枕を、中昔の書に某国にありと注せるには、いみしく誤れる事のみ多きを、後の人、その誤れる注によりて、その國に其名所をつくりかまへて、或は萬葉によめる某山はこれなりなどいふたぐひおほきを、それも年を経ればその名のひろまりて、もとよりその所の如くなれるを、他国の歌人そこにいたりて、その名をきゝてよめるたぐひおほければなり、
161 教誡[九八〇]
もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたくいへるは、いといとうるさし、人は教によりてよくなるものにあらず、みとより教をまつものにはあらぬを、あまりこちたくいましめ教るから、中々に姦曲詐偽のみまさる事をしらず、周公旦、あまりにこちたく定めたるゆゑに、周の末の乱をおこせり、戦国のころのひとの邪智ふかきは、みな周公がをしへたることなり、皇国の古書には、露ばかりもをしへがましき事見えず、此けじめをよく考ふべし、教誡の厳なるをよきことと心得たるは愚なり、
162 孟子[九八一]
孟子に、不孝ニ有三、無ヲ後為大ナリトといへり、然る時は、後あるが孝ならば、身を富貴にせむこそ大孝ならめ、しかるを、儒者の富貴を願はざるは、たゞおのが身を潔くせむとして、親を思はざるなり、これ又不孝といふべし、
163 如是我聞[九八三]
もろもろの佛經のはじめに、如是我聞といへること、さまざま故ある事のごといひなせれども、末々の文にかなはず、はじめにかくいへるは、いずれにしてもひがことにて、つたなきことなり、又如是我聞とこそいふべけれ、言のついでも、いとつたなし、これらのこと、天竺のなべてのならひにもあるべけれど、なほ翻訳者も拙し、すべて漢学びする人の、手をかけるにも、詩文を作れるにも、和習々々と、つねにいふことなるを、佛書の文には、又天竺習の多きなり、
164 佛道[九八五]
佛道は、たゞ悟と迷ひとをわきまへて、その悟を得るのみにして、その余の事はみな枝葉のみなり、かくてその悟といふ物、また無用の空論にして、露も世に益ある事なし、しかるを、世の人、その枝葉の方便にまどへるは、いかなる愚なる心ぞや、
165 世の人まことのみちにこゝろつかざる事[九八六]
もろこしの國には、道教といふもの、世々に盛に行はれて、大かた佛道とひとしきばかりなり、此道、老子を祖とはたつれども、老子が意とはいたく異にして、たゞあやしきたはふれわざのやうなることにて、そのむねをきはむれば、やうなきいたづらぎとなり、皇國に、此道のわたりまうでこざるは幸ひなり、しかはあれども、天ノ下の人の心、佛道と儒道とに、ことごとく奪はれてたるは、又なげかしき事なり、大かた天下の人、上中下、さかしき愚なる、おしなべて、奥山の山賤(ヤマガツ)までも、佛を信ぜざるは一人もなく、その中に、まれまれさすがに己が家の業と思ひ得て、神の道を尊ぶもあれど、さる人も、多くは佛意儒意なり、又神の道といふも、皆儒佛によりて設キまげたる物なれば、まことのみちは、大かた絶はてたるも同じなり、天ノ下大かた、件の如くなれば、たゞ何國も何國も、佛寺のみ栄えて、神社はいたく衰へまして、その衰へをうれふる人もなく、神はたゞ、病その外の祈りことのみに用ひられて、此道もたゞ、世ノ中の無用の物のごとく、たゞいにしへより有来れる事として、ひたふるに廃られぬといふのみなり、此道は、これ天下を治め、國を治め、先務要道なることをしれる人は、われいまだ、夢にも見きかず、いともいともかなしき事ならずや、
166 宋の代 明の代[九八七]
もろこしの國、宋の代にいたりては、よろづの事理屈三昧にして、國政につけても、何につけても、無用の空論のみなり、明の代の人は、又見識ひらけて、宋の理屈のわろき事をしり、又古より世々の物しり人の説の、誤り、心もつかざりしことなどをも、見つけたる人多きは、めずらしき事なり、されどつひにまことの道をばしる人なくして、その代終りぬるは、神の御國にあらざるがゆえなり、
167 天[九九〇]
から人の、何につけても天天といふは、神あることをしらざる故のひがごとなり、天は、たゞ神のまします國にこそあれ、心も、行ひも、道も、何も、ある物にはあらず、いはゆる天命、天道などといふは、みな神のなし賜ふことにこそあれ、又天地は、萬物を生育するものと思ふもひがごとなり、萬物の生育するも、みな神の御しわざなり、天地は、たゞ、神のこれを生育し給ふ場所のみなり、天地のこれを生育するにはあらず、から人の云く、天聖人に命じて、暴を征伐して、民を安ジせしむといへり、しからば、天のしわざは、正しき物にして、ひがことはなき物と聞えたるに、世ノ中には、理にたがひたる事の多きはいかに、その理にたがひたることあれども、たゞ天の命なればせんかたなしとのみいひて、その天のひがことするをば、とがめざるはいとをかい、天もひがことするならば、かの聖人に命じて、君を亡して、天下をとらせたるも、店のひがことといふべし、
168 國を治むるかたの学問[九九一]
國を治むる人の、がくもんし給はんとならば、をさまれる世には、宋学のかた、ものどほけれど、全てそこなひなし、近き世の古文辞家の学問は、ようせずは、いみしきあやまちを引いづべし、さて乱れたる世には、しばらく、もろもろの書はさしおきて、たゞ近昔の戦を記したる、軍書といふものをつねによく読べし、その世の人々の、よしあしさ、かしこきおろかなる、こゝろしわざ、たゝかひのしやうなどを、よくよく考ふべし、
169 漢籍の説と皇の古伝説とのたとへ[九九五]
漢ぶみの説は、まのあたり近き山を見るがごとく、皇國の上代の伝説は、十里廿里もかさなりたる、遠き山を見るがごとし、漢ぶみの説は、人情にかなひて、みな尤と思はるゝ事なり、皇國の上代神代などの故事は何の味もなく、たゞ浅はかに聞ゆるは、凡人の思ひはかる智の及ぶかぎりとは、はるかに遠きゆゑ、その理の聞えず、たゞ浅はかに聞ゆるなり、これかのとほき山は、たゞほかに山と見ゆるのみにて、その景色も何もみえず、見どころなきが如し、これ景色なきにあらず、人の目力の及ばぬ故なり、又漢籍の理ふかく尤に聞ゆるは、ひとのいへる説にて、人の情に近きなり、是かの近き山は、けしきよく見えわかれて、おもしろき見所あるがごとし、
170 米粒を佛法ぼさつなどいひならへる事[九九九]
穀物をおろそかにすまじきよしをいふ時に、米粒などを、佛法といひ、東國にては、菩薩といふ、これ大切にして、おろそかにすまじきよしなれば、然いふ心はいとありがたけれども、佛菩薩より尊き物はなしと心得たる心よりしかいふなれば、言はいとひがことなり、神とこそいふべけれ、まことに穀はうへもなき尊きものなれば、神とも神と申すべきものなり、
171 世の人のこざかしきこといふをよしとする事[一〇〇〇]
世の中のこざかしき人は、いはゆる道歌のさまなる俗歌をよみて、さとりがましき事をよくいふものなり、或は身こそやすけれなどいひて、わが心のさとりにて身のやすきよしをよむこと、みな儒佛にへつらひたる偽ごとなり、まことには、わが身を安しとして、足事をしれるものはなきものなり、たとへば人の齢など、七十に及ぶは、まことにまれなる事なれば、七十までも長らへては、はやく足れりと思ふべきことなれども、人みな猶たれりとは思はず、末のみじかき事をのみ歎きて、九十までも、百歳までも生(イカ)まほしくしふぞ、まことの情なりける、
172 假字[一〇〇一]
皇國の言を、古書どもに、漢文ざまにかけるは、假字といふものなくして、せむかたなく止事を得ざる故なり、今はかなといふ物ありて、自由にかゝるゝに、それを捨てて、不自由なる漢文をもて、かゝむとするは、いかなるひがこゝろえぞや、
173 から國の詞つかひ[一〇〇二]
皇國の言語にくらぶれば、唐の言語はいとあらき物なり、たとへば罕言といふこと、皇國言にては、まれにいふといふと、いふことまれなりといふと、心ばへ異なり、まれにいふは、言(イフ)といふこと主となりて、罕ながらもいふことのあることなり、いふことまれなりは、罕といふこと主となりて、いふことのまれなるなり、他の言も此たぐひ多し、すべてのことみなかくの如し、
174 佛經の文[一〇〇三]
すべての佛經は、文のいとつたなきものなり、一つに短くいひとらるゝ事を、くだくだしく同じことを長々おいへるなど、天竺國の物いひにてもあるべけれど、いとわづらはしうつたなし、
175 神のめぐみ[一〇〇四]
上は位たかく、一國一郡をもしりて、多くの人をしたがへ、世の人にうやまはれ、萬ゆたかにたのしくてすぐし、下はうゑず食ひ、さむからず着、やすく家(ヲ)る、これらみな、君のめぐみ、先祖のめぐみ、父母のめぐみなることはさるものにて、その本をたづぬれば、件の事どもよりはじめ、世にありとあるもろもろのこと、みなかみのみたまにあらずといふことなし、しかれば、世にあらむ人、神を尊まではわえあらぬ事なるを、平日(ツネ)になりぬることは、さしも心にとめず、忘れをるならひにて、君のめぐみ、先祖のめぐみをもさしもおもはず、もとより神の御たまなることは、みなわすれはてて、思ひもやらぬは、いといとかしこくあるまじき事なり、一日も、食物なくはいかにせむ、衣物なくはいかにせむ、これを思はば、君のめぐみ、先祖父母のめぐみをつねにわするべきにあらず、しかるを世の人、さることをばしらずおもはず、神をばたゞよそげに思ひ奉りて、たまたまさしあたりて祈る事などかなはねば、その神をうらみ奉りなどするは、いといとかたじけなきことなり、生れいづるより死ぬるまで、神の恵の中に居ながら、いさゝか心にかなはぬ事ありとても、これをうらみ奉るべきことかは、又祈ることきゝ給はねば、神は尊みてやくなき物のごと思ひなどするは、いかにぞや、かへすかえすも萬の事、ことごとく神のみたまなることを、平日(ツネ)にわするゝ事なくは、おのづからかみのたふとまではかなはぬ事を知べし、たとへば百両の金ほしき時に、秘との九十九両あたへて、一両たらざるが如し、そのあたへる人をば悦ぶべきか、恨むべきか、祈ることかなはねばとて、神をえうなき物にうらみ奉るは、九十九両あたへたらむ人を、えうなきものに思ひてうらむるがごとし、九十九両のめぐみを忘れて、今一両あたへざるをうらむるはいかに、
176 道[一〇〇五]
神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人しらではかなはぬ皇國のみちなるに、わづかに糸筋ばかりよにのこりて、たゞまことならぬ、他の國の道々のみはびこれるは、いかなることにか、まがつひの神の御こゝろは、すべなき物なりけり、
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