やまと、もろこし、いにしへ、今、ゆくさきにも、
たぐふべきふみはあらじとぞおぼゆる
この物語と並ぶほどの本はどこにもないし、これからもきっと出てこないだろう――。
(『源氏物語玉の小櫛』宣長著 巻2)
たぐふべきふみはあらじとぞおぼゆる
この物語と並ぶほどの本はどこにもないし、これからもきっと出てこないだろう――。
(『源氏物語玉の小櫛』宣長著 巻2)
これが、江戸時代の国学者・本居宣長(1730-1801)の源氏物語評。
親族間で和歌を贈答する家庭に育ち、和歌を好んだ孤独な青年は、20 歳頃、『源氏物語』 と出会います。貴族の雅やかな源氏世界は、たちまち、宣長を魅了しました。
京都での医学修業時代には、「紫式部や清少納言の活躍した一条院の時代が眼前に浮か んでくるようだ……」とぼんやり京都御所を眺め、源氏世界へ飛び込んだかのような京の 都を満喫。28 歳で医者となり松阪へ帰ると、松阪の人々に請われ、医者のかたわら、『源氏』の講釈をするようになります。
そんなある日、人から、こんな質問を受けました。
藤原俊成の和歌「恋せずは 人は心もなからまし 物のあはれも これよりぞしる」
という歌の「物のあはれ」とは何だろうか。
「もののあはれ」という言葉自体は、今までにも出会ってきたが、改めて聞かれると、どうも上手く説明出来ない。ここから、宣長と「もののあはれ」の歩みが本格化しました。
『古事記』研究もしたいけれど、『源氏』も手放しきれない――そんな宣長の姿勢は師・賀茂真淵も呆れるほど。
「もののあはれ」って何だ? 『源氏物語』を好色への戒めの本だ、なんていう人がいるけれど、そんな考え方ではこの物語の真意は見えない。そして、殿様まで魅了した、40年にもわたる宣長の源氏講釈。
「もののあはれ」は「ヤバい」こと? ちょっと危ない魅力が潜む「もののあはれ」、
『源氏物語』の世界を、宣長を通じてご紹介いたします。
会 期 6月8日(火)~ 9月5日(日)
展示総数 79 種100 点 ※内、国重要文化財49 点 (変更あり)
●展示説明会
6 月19 日(土) 7 月17 日(土) ※いずれも11:00 より(無料)
親族間で和歌を贈答する家庭に育ち、和歌を好んだ孤独な青年は、20 歳頃、『源氏物語』 と出会います。貴族の雅やかな源氏世界は、たちまち、宣長を魅了しました。
京都での医学修業時代には、「紫式部や清少納言の活躍した一条院の時代が眼前に浮か んでくるようだ……」とぼんやり京都御所を眺め、源氏世界へ飛び込んだかのような京の 都を満喫。28 歳で医者となり松阪へ帰ると、松阪の人々に請われ、医者のかたわら、『源氏』の講釈をするようになります。
そんなある日、人から、こんな質問を受けました。
藤原俊成の和歌「恋せずは 人は心もなからまし 物のあはれも これよりぞしる」
という歌の「物のあはれ」とは何だろうか。
「もののあはれ」という言葉自体は、今までにも出会ってきたが、改めて聞かれると、どうも上手く説明出来ない。ここから、宣長と「もののあはれ」の歩みが本格化しました。
『古事記』研究もしたいけれど、『源氏』も手放しきれない――そんな宣長の姿勢は師・賀茂真淵も呆れるほど。
「もののあはれ」って何だ? 『源氏物語』を好色への戒めの本だ、なんていう人がいるけれど、そんな考え方ではこの物語の真意は見えない。そして、殿様まで魅了した、40年にもわたる宣長の源氏講釈。
「もののあはれ」は「ヤバい」こと? ちょっと危ない魅力が潜む「もののあはれ」、
『源氏物語』の世界を、宣長を通じてご紹介いたします。
会 期 6月8日(火)~ 9月5日(日)
展示総数 79 種100 点 ※内、国重要文化財49 点 (変更あり)
●展示説明会
6 月19 日(土) 7 月17 日(土) ※いずれも11:00 より(無料)
「もののあはれ」とは? ◎……国重要文化財
竹内浩三生誕100年記念企画 竹内浩三展
本居宣長記念館では、伊勢出身の詩人・竹内浩三(1921-1945)の生誕100 年を記念し、1階展示スペースにおいて、竹内浩三展を開催いたします。
伊勢に生まれ、マンガや詩をこよなく愛して創作に打ち込んだ竹内浩三。どのような状況にあってもただまっすぐに紡がれる言葉には、その時々の浩三の思いが表れています。いたずら好きのわんぱく少年だった時期の作文から、友人たちと創刊した『伊勢文学』、姉・こうさんに宛てた手紙まで、出征前に「書いたものは、全部とっといておくれ」と姉に頼んだ浩三の、足跡に触れる史料をご紹介します。
会 期 8 月7 日(土)~ 8 月15 日(日) ※8 月10 日(火)は休館
※ご好評につき、展示期間を延長いたします
新期間:~8月31日(火)
展示場所 本居宣長記念館1階 展示スペース
※展示室(2 階)では引き続き「もののあわれ 宣長と源氏物語」を
開催しています。
展示総数 30 点(予定)
伊勢に生まれ、マンガや詩をこよなく愛して創作に打ち込んだ竹内浩三。どのような状況にあってもただまっすぐに紡がれる言葉には、その時々の浩三の思いが表れています。いたずら好きのわんぱく少年だった時期の作文から、友人たちと創刊した『伊勢文学』、姉・こうさんに宛てた手紙まで、出征前に「書いたものは、全部とっといておくれ」と姉に頼んだ浩三の、足跡に触れる史料をご紹介します。
会 期 8 月7 日(土)~ 8 月15 日(日) ※8 月10 日(火)は休館
※ご好評につき、展示期間を延長いたします
新期間:~8月31日(火)
展示場所 本居宣長記念館1階 展示スペース
※展示室(2 階)では引き続き「もののあわれ 宣長と源氏物語」を
開催しています。
展示総数 30 点(予定)
竹内浩三 [1921-1945]
浩三、姉こうとその娘 大正10 年(1921)、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれた。家は伊勢でも指折りの呉服店だったが、浩三は専ら漫画や詩、音楽に関心を示す。県立宇治山田中学に入学すると、同級生の中井利亮らを誘って「まんがのよろづや」と題した回覧雑誌を製作するなど、意欲的に活動した。
昭和14 年(1939)宇治山田中学卒業。翌年、映画監督を志して日本大学専門部(現芸術学部)映画科へ進学すると、いっそう創作に力を入れ、昭和17 年(1942)には、中井利亮・野村一雄・土屋陽一らと同人誌『伊勢文学』を創刊した。しかし、同年10 月には三重県久居町(現津市)の中部第三十八部隊へ入営することとなり、翌年7月には茨城県西筑波飛行場に転属。昭和20年(1945)4月、フィリピンのバギオで23 年の生涯を終えた。
浩三、姉こうとその娘 大正10 年(1921)、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれた。家は伊勢でも指折りの呉服店だったが、浩三は専ら漫画や詩、音楽に関心を示す。県立宇治山田中学に入学すると、同級生の中井利亮らを誘って「まんがのよろづや」と題した回覧雑誌を製作するなど、意欲的に活動した。
昭和14 年(1939)宇治山田中学卒業。翌年、映画監督を志して日本大学専門部(現芸術学部)映画科へ進学すると、いっそう創作に力を入れ、昭和17 年(1942)には、中井利亮・野村一雄・土屋陽一らと同人誌『伊勢文学』を創刊した。しかし、同年10 月には三重県久居町(現津市)の中部第三十八部隊へ入営することとなり、翌年7月には茨城県西筑波飛行場に転属。昭和20年(1945)4月、フィリピンのバギオで23 年の生涯を終えた。
浩三が遺した手紙や自筆の草稿、蔵書は、松阪に嫁いだ姉・こうさんから松阪市に寄贈され、本居宣長記念館で収蔵しています。
主な展示史料